ピロのブログVer3

Ver2の続きです

特集記事 近鉄一般車 その他の鉄道

【特集】近鉄のリバイバル塗装車(Ⅰ) -「ラビットカー塗装」

■ 記事概要

ここ数年、各地の鉄道会社では、昔に在籍していた車両が纏っていた、もしくは在籍車両がかつて実際に纏っていた見た目を再現する、車両外装のリバイバル化がブームとなってきました。近鉄でも、今までに多くの「リバイバル塗装車」が登場しており、2020年10月現在は8種が各系統線区で活躍中です。

今回の【特集】記事では、かつて存在した車両等の話題も交えながら、2010年代に登場し最低1年以上は活躍している近鉄のリバイバル塗装車を登場順で8回に分けて紹介します。

この(Ⅰ)の記事では、「ラビットカー塗装」とその復刻塗装車である6020系6051Fを主に取り上げます。

※今回の【特集】記事は、「ピロのブログVer2」にて以下のタイトルで掲載した記事をリメイクし、「ピロのブログVer3」にて2020.06.14付で投稿した【特集】記事を加筆修正したものです。構成と一部内容を変更し、2020.10.23時点までの情報を追加しています。

【特集】近鉄リバイバル塗装車 …2017.03.24掲載


■ 記事本文

こんばんは。

今回は【特集】記事。紹介する話題は、近鉄のリバイバル塗装車です。

前に「ピロのブログVer2」でも取り上げた事のある話題ですが、あれから3年以上が経過し、復活塗装車や復刻塗装編成の総数が若干増えました。中には、復刻塗装を纏ってから間もなく8年目を迎える編成も存在しており、近鉄車両の中で「リバイバル塗装車」という一つのジャンルが定着しつつあるように思います。

今回の【特集】記事では、2010年代に登場し最低1年以上は活躍している近鉄のリバイバル塗装車について、その変遷を中心にそれぞれを登場順で紹介します。また、外装のリバイバル化に関連して、かつて存在していた塗り分けや車両などの話題も所々で軽く触れたいと思います。


前回紹介時よりもリバイバル塗装車の数や各項目の情報量が増えているため、今回の【特集】記事内容は、(Ⅰ)-(Ⅷ) の計8回に振り分けて展開していきます。

若干変動するかもしれませんが、その時はその時で修正し、他記事の合間で気ままに進めていくつもりです。

今回の記事内容は (Ⅰ) です。

【特集】第4記事目 目次

【特集】近鉄のリバイバル塗装車

(Ⅰ) …1:6020系6051F -〔今回〕

(Ⅱ) …2:15200系15204F

(Ⅲ) …3:コ3形コ3&コ4

(Ⅳ) …4:5800系5802F 

(Ⅴ) …5:5200系5205F

(Ⅵ) …6:8400系8414F

(Ⅶ) …7:8400系8409F

(Ⅷ) …8:1440系1438F

(Ⅰ)-(Ⅷ)…9:リンク集

[2-8]の各項目内容についてはこちら (当ページ下部の記載区画へ移動します)

各項目 ( ) 内は、(当該リバイバル塗装車の活躍時期/車両分類)、★は一言概要


1:6020系6051F (2012.09-2020.08/一般車)

★ 6800系『ラビットカー』登場時の外板色をモチーフにした「リバイバル塗装車」

★ 南大阪線系統の一般列車運用で活躍

★ 2020年8月を以て当該編成のリバイバル塗装は終了


1-1:「ラビットカー塗装」復刻前後の動きと『ラビットカー』について

〔参考資料1〕「吉野飛鳥 近鉄エリアキャンペーン」関連プレスリリース

〈参考1〉「ラビットカー」の愛称由来と「ラビットマーク」

〈参考2〉 過去に行われた「ラビットカー塗装」リバイバル化の動き

1-2:復刻塗装を纏った6020系6051Fの外観

〈参考3〉第2期「ラビットカー塗装」を纏った6051F各車両の全体外観

(両側・両寄り計16枚)

C#6051[Mc]…(4枚)

C#6052[M]…(4枚)

C#6171[T]…(4枚)

C#6136[Tc]…(4枚)

1-3:6051Fの季節臨充当実績と復刻塗装終了前後の目立った動き

〔参考資料2〕「ラビットカー塗装」車両の「開運号」充当告知

〈参考4〉6051Fの季節臨充当実績 (復刻塗装時代)

1-4:おわりに


9:リンク集


[2-8]の各項目内容についてはこちら

(当ページ下部の記載区画へ移動します)


では、記事内容に移ります。

※このページ内における「公式側」は、車両に対して [1位 (車両側面) 2位] となっている側の事を指します。反対に「非公式側」は、車両に対して [2位 (車両側面) 1位] となっている側の事を指します。

※このページでは、車両に対する1回目の車体更新をA更新、2回目の車体更新をB更新と呼称しています。

以下、すべて2020年10月23日現在

1:6020系6051F

1-1:「ラビットカー塗装」復刻前後の動きと『ラビットカー』について

2010年代に登場した、近鉄車両の様々なリバイバル塗装の中で最初に登場したのが「ラビットカー塗装」です。

かつて南大阪系統で活躍していた6800系『ラビットカー』を始めとする系列が纏っていたカラーリングという事で、リバイバル化にあたっては、同系統で活躍する6020系が復刻塗装の対象となっています。「ラビットカー塗装」は、数あるリバイバル塗装の中でも復活ないし復刻の機会が多く、近鉄保有車両に対する同塗装のリバイバル化は、この時の6020系に対する実施で3回目でした。

<壺阪山駅付近/2020-04-04>

それぞれのリバイバル化には、それを行う何かしらの契機が存在したわけですが、3回目の時は、吉野線開業100周年記念「吉野飛鳥 近鉄エリアキャンペーン」の一環で実施が決まっています。

同キャンペーンの実施期間は、吉野線が開業100周年を迎える2012年10月25日(木)の前後で設定されており、同年9月8日(土)から 12月9日(日)までの間で様々な記念イベントが催行されています。その内、「ラビットカー塗装」の復刻は、一連の最初に実施される予定となっていました。同復刻塗装車の登場を案内したプレス2種()にはリバイバル塗装へ変更される対象車種が明記されていませんでしたが、最初の告知が出た時点で、6800系の外形に近い車両が選定される事を予想していた方は多かったのではないかと思います。

〈Twitterより埋め込み・引用〉
〈Twitterより埋め込み・引用〉
〈Twitterより埋め込み・引用〉

その後、プレス2本目が出る前の2012年8月上旬に6020系6051Fが検査目的で五位堂検修車庫へ入場。この時に併せて行われたお色直しで、「ラビットカー塗装」へと塗り替えられました。

検査・お色直し等を終えた6051Fは、8月31日(=昼:吉野方2両/夜:阿部野橋方2両)に同所を出場。翌9月1日(土)に日中試運転を行い、同8日(土)より運用を開始しています。この日は、「吉野飛鳥 近鉄エリアキャンペーン」イベントの一つである『~ラビットカーのリバイバル塗装車に初めて乗れる~ 吉野線開業100周年記念列車ツアー』の貸切列車に充当されており、ツアー名通り、貸切列車が塗装変更後の初運用となりました。


〔参考資料1〕「吉野飛鳥 近鉄エリアキャンペーン」関連プレスリリース

「吉野飛鳥 近鉄エリアキャンペーン」を実施

(KINTETSU NEWS RELEASE/2012.07.23付発表)…PDF形式

「吉野飛鳥 近鉄エリアキャンペーン」開始!

(KINTETSU NEWS RELEASE/2012.08.10付発表)…PDF形式

※いずれも新規タブで開きます


「ラビットカー塗装」で運用を開始した6051Fは、快速急行から普通まで、南大阪線系統を走る幅広い種別列車へ充当。オレンジバーミリオン一色に白帯を巻いた見た目の姿は、かつての6800系『ラビットカー』・6900系や6000系の一部を彷彿とさせる仕上がりになっています。

※以下、複数系列の車両愛称として存在する『ラビットカー』(および『新ラビットカー[=6900・6000/俗称?]』)は、「ラビットカー」と表記。

<尺土-高田市/2016-04-09>

ちなみに、「ラビットカー」の見た目を特徴づけるオレンジバーミリオンの色彩に関しては、『鉄道ピクトリアル臨時増刊号 No.505 〈特集〉近鉄特急』P79において、「(略)~, 当時日本油脂の色彩調節委員会におられて, 1460, ラビット, 800, ビスタ, などの近鉄の色彩全般を考案された近藤恒夫先生~(略)」との記載があり、恐らく、この人物を中心に社内で車両色が検討されたのだと思われます。

この時「ラビットカー塗装」を纏った6051Fの車体色が昔の色彩に合わせられているのかどうかは不明です。ただ、雰囲気自体は合っているように思います。


〈参考1〉「ラビットカー」の愛称由来と「ラビットマーク」

「ラビットカー塗装」に関連して、ここでは「ラビットカー」の愛称由来とそのシンボルマークである「ラビットマーク」について簡単に触れます。


■「ラビットカー」の愛称由来

先ずは「ラビットカー」の愛称由来についてです。

「ラビットカー」は、南大阪線系統で最初期に投入された高性能通勤車である6800系に対して付された愛称です。この愛称は、その後に登場した増備系列で、オレンジバーミリオン一色に白帯の見た目を持つ車両に対しても付される場合があります。

この「ラビットカー」の愛称由来については、近鉄から発行された車輛パンフレット冒頭部に以下の記載があります。

この度近畿日本鉄道では南大阪線の輸送力、特に通勤輸送区間である阿部野橋―矢田間の増強のために16両の通勤専用電車を新造致しました。この車は先般完成した大阪線の通勤電車(1460型)の経験を基に、尚一層通勤車としての性能を向上させたもので ピョンピョン 跳び走る兎にちなんで愛称を ラビットカー と名付けました。

車輛パンフレット『南大阪線6801型 近畿日本鉄道 Sept 1957 近畿車輛 三菱電機』P.1より引用

他、『関西の鉄道 (No.19-近鉄特集PartⅢ)』や『鉄道史料123号 (2010年2月)』を参考にすれば、当時の近鉄社長であった佐伯勇がその設定を命じた旨も読み取る事が出来ます。社長自身が考案したのか社員から名前を募って社長名義の考案にしたのかは分かりません。

ちなみに、この「ラビットカー」という愛称は、特定の近鉄車両に対して愛称を設けた最初の事例だったようです。この次の事例は「ビスタカー」で、近鉄特急の代名詞的な愛称となっていた事を鑑みたのか、1992年9月に商標出願がなされており1995年10月から近鉄が商標権を有しています。「ラビットカー」に関しては、2020年10月時点でも商標登録されていません。


■「ラビットマーク」

続いて「ラビットマーク」についてです。

「ラビットカー」の見た目を特徴付ける大きな要素としては、先述した色彩の他、専用シンボルマークの添付があります。2012年のリバイバル化に際しても、各車両の車体公式側1位寄りおよび同非公式側2位寄りには、かつての「ラビットカー」同様にシンボルマークが入れられました。そのデザインは、車両愛称と同じく、地面を俊敏に駆ける兎がモチーフとなっています。

〈上ノ太子-二上山/2017-01-01〉
<五位堂-近鉄下田/2016-09-06>

シンボルマークの名前については、マークの外観がパッと見でも明らかに兎である事やこれが付けられた車両に「ラビットカー」の愛称があった事などもあってか、一般に「ラビットマーク」と呼称する事が定着しているようです。なので、今回の記事でも、このシンボルマークを「ラビットマーク」と呼称しています。

ちなみに、愛称設定に加え専用シンボルマークまで創作された事情については、詳しくは不明です。ただ、それらが実施されるに至った有力な背景として、竣工当時の6800系が日本初の高加減速性能車であった事が挙げらます。高加減速車両の代名詞として有名な阪神「ジェットカー」群の最初型式(=初代5001型)は、「ラビットカー」より1年後の登場でした。当時の近鉄が、通勤車である6800系に対してわざわざ愛称や専用マークを付したのは、同系を都市間通勤輸送の質を変えうる今までにない期待車両として見ていたからなのかもしれません。

他、「ラビットカー」の愛称が近鉄で考案されたのは上記の通りですが、「ラビットマーク」に関しては、画家によって創作が行われています。

作者については、幾つかの文献やウェブサイトで以下のように言及されています。

 なおラビットカーの愛称名は当時の佐伯社長の命令に依るもので,デザインは二科会の具体派に属された吉原製油㈱社長の, 考案によるものであるのも興味深いものがある.

「ラビットカーのシンボルマークに就いて」―『関西の鉄道 (No.19-近鉄特集PartⅢ)』、1988年7月20日発行、P15より

公試車は6801+6802, ステンレス板のラビットマーク (故・岡本太郎画伯のデザイン) , アルミ合金鋳物のラビットカーの文字板も真新しく光って見える.

「近鉄ファンの独り言 (Ⅱ)」―『関西の鉄道 (No.36-近鉄特集PartⅧ)』、1998年5月20日発行、P30より

サ6150形以外には車体側面にウサギをモチーフにした 「ラビットマーク」(画家の岡本太郎がデザイン。ラビットマークは6800系の1次車から3次車までは白の塗装で、6800系の最終増備車となる4次車および6900系と6000系の全車ではステンレス無塗装のものであったが、6800系の1次車から3次車でもステンレス無塗装のものに取り換えた事例もあった)が取り付けられていたが、マルーン一色への塗装変更の際に取り外された。

ラビットカー‐3 ラビットカー色」―フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より、2020年10月20日閲覧

・近畿日本鉄道 ラビットカー(近鉄6800系電車など)シンボルマーク「ラビットマーク」(1957年)- 日本で初めての高加減速車両のマーク[23]。当時は鉄道関連のマークに著名画家を採用する例は極めて少なかった

岡本太郎‐4 主な作品‐4 インダストリアル・デザイン」―フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より、2020年10月20日閲覧

ラビットカーの命名は社長佐伯勇、マークは二科会会員の吉原治良による(岡本太郎説は誤り)(近鉄社内誌「ひかり」12巻4号(1957)、13巻1号(1958)。本誌123号)。

「資料の項 近畿日本鉄道南大阪線 6800型 Rabbit Car 解説冊子 について」―『鉄道史料165号 (2020年7月)』、P42より

 近畿日本鉄道の社内報である「ひかり」の第12巻第4号 [1957 (昭和32) 年11月発行] には車輛部が執筆した「鋭新ラビットカー登場!!」と題した紹介記事が収録されており、その中に「車の横に画かれた兎のマークは二科の吉原画伯の書かれたもので、ラビットカーの特長をよく現したスマートなものとなっています」と明記されているほか、同じく第13号第1号 [1958 (昭和33) 年2月発行] 収録の「乗客座談会 ラビットは走る!」にも「ラビットカーの命名は佐伯社長によるもので、実に機宣を得たものとして頗る好評です」・「この図案は、二科会の具体派に属される、吉原製油株式会社々長の考案によるものであるのも面白いです」と書かれている。

…(略)…

 ところで、成績が低迷していたプロ野球球団「近鉄パールズ」は、心機一転、上位進出を目指して1959 (昭和34) 年に球団名を「近鉄バファロー」に改めたが、新しい球団旗のデザインを画いたのが岡本太郎画伯であった。

 吉原治良画伯が画いたラビットカーのシンボルマークが、あたかも岡本太郎画伯が画いたような前衛的なタッチのデザインであったため、世間一般ではこちらも岡本太郎画伯の作と誤って認識されてしまったと思われる。

「ラビットカー シンボルマークの作者について」―『鉄道史料123号 (2010年2月)』、P46より

以上の言及を見るに、「ラビットマーク」の作者は吉原治良画伯か岡本太郎画伯のどちらかという事が読み取れます。

マークの作者については、25~35年前に発行された幾らかの書籍にもその記載がある事やWikipediaで他の可能性が言及されない事などから察するに、長らく「岡本太郎画伯が作者である」とする認識が半ば以上一般的となっているようです。一方、一部古書籍の他、近年発行の一部書籍においては「吉原治良画伯が作者である」と言及される機会も見受けられます。どちらの画伯が作者なのかは、ここでは断言しかねますが、個人的には後者推しです。


ところで、かつての「ラビットマーク」の兎ロゴには、白色のエナメル塗装で表現したものとステンレス製ないしアルミ合金製マークの取り付けで表現したものの2種類が存在したそうです。

<五位堂検修車庫/2019-10-20>

ロゴ下にある“Rabbit Car”の英字表記に関しては、6800系登場当初からアルミ合金製文字の取り付けで表現された模様。ロゴ表現が凹凸の有無しで2種存在した一方、英字表現は凹凸有の1種のみだったようです。

結局、「ラビットカー」と呼称された6800・6900・6000の3系列に属する車両で3パターンの「ラビットマーク」(※1) が存在したようなのですが、いずれも一般車塗装のマルーン一色化に際して取り払われて消滅しています。

<橿原神宮前[改札外より撮影]/2020-06-21>

一方、過去3回に渡って行われた「ラビットカー塗装」のリバイバル化では、いずれもマークと文字が再現されており、6051Fや後述する養老線管理機構所有の600系606Fでは、マーク・文字共に転写式の銀色ステッカーで表現されています。


※1 かつての「ラビットマーク」については、[「ラビットカーのシンボルマークに就いて」―『関西の鉄道 (No.19-近鉄特集PartⅢ)』、1988年7月20日発行、P15]の内容が参考になります。気になる方はそちらもどうぞ。



以上、「ラビットカー」の愛称と「ラビットマーク」について、考察・余談も入れつつ手早く紹介しました。

共に近鉄側の証言・資料による情報が専らであり、特に後者については画家側の資料が見当たりません。現状、紹介した以上のさらなる詳細については分かりませんが、何にしても、1950年代において、通勤電車に愛称を付ける事や鉄道車両のシンボルマークデザインに著名な画家を起用する事は珍しい事例だったようです。

〈参考1〉


さて、「ラビットカー塗装」の復刻塗装車となった6051Fが2012年9月8日より客扱いを開始した事は上述の通りですが、同編成は「吉野飛鳥 近鉄エリアキャンペーン」が終わった後もそのままの外観で活躍を続けています。各種の貸切列車や臨時列車に対しても比較的多く充当されていました。

その後、2012年の五位堂出場から約4年が経過して再び検査・お色直し等を行う時期が近付いた6051Fは、2016年8月上旬に運用を離脱。2日夜に所属先がある古市車庫から台車振替場がある橿原神宮前へと回送されました。

〈Twitterより埋め込み・引用〉
〈Twitterより埋め込み・引用〉
〈Twitterより埋め込み・引用〉
〈Twitterより埋め込み・引用〉

翌3日からは五位堂への回送準備が行われており、その日の内に阿部野橋方2両が、さらに翌4日に吉野方2両が五位堂検修車庫へ入場しています。吉野線開業100周年記念企画で塗装変更されリバイバル塗装となった6051Fは、この時を以て一先ず2012年からの「ラビットカー塗装」復刻車としての活躍を終えました。

その後、検査・お色直し等を終えた6051Fが五位堂検修車庫を出場したのは翌月9月6日です。同日昼に吉野方2両が・同じく夜に阿部野橋方2両が出場しており、回送先の台車振替場では当日から翌日にかけて台車の履き替えと編成組みが行われています。

<五位堂-近鉄下田/2016-09-06>
<大和八木-真菅/2016-09-06>

肝心の外板塗装に関しては、掲載画像の通り、この時の入場で赤白ツートンの現行一般車標準塗装に戻される事はありませんでした。2012年から4年間の「ラビットカー塗装」姿を復刻塗装第1期とするなら、2016年からのこちらは同第2期と言う事になります。

以下、今回の記事で両者を区別する必要が生じた際の呼び方は、前者を第1期、後者を第2期とする事にします。

2012年出場時とほぼ同様の見た目でお色直しされた6051Fは、日中試運転(=8日)を行った後、再び「ラビットカー塗装」の復刻塗装車として運用を開始(=10日[595レ]~)。観光特急「青の交響曲」の運転開始と同日の運用復帰でした。


〈参考2〉過去に行われた「ラビットカー塗装」リバイバル化の動き

この項目の冒頭でも述べた通り、近鉄保有車両に対して「ラビットカー塗装」をリバイバル化する動きは、2012・2016年の6020系に対する動きを1回として、これまでに計3回ありました。最初の1回は6800系に対して、その次は元6800系で今は養老線管理機構所有の600系に対して行われています。

マルーン単色が一般車標準塗装となった時代に登場した6020系は、「ラビットカー塗装」のリバイバル化で初めて同塗装を纏う事になりましたが、それ以前にリバイバル塗装化が行われた2車種は、リバイバル化以前にも「ラビットカー塗装」を纏う経験があった車両群です。この点を考慮すると、各回の「ラビットカー塗装」のリバイバル化を捉える際の見方には、かつての塗装を「復刻」するのと「復活」させるのとで2種類あるように思います。つまり、同じ「ラビットカー塗装」のリバイバル化でも、同塗装を纏った事がない6020系は「復刻塗装車両」、同塗装を纏った事がある6800・600系は「復活塗装車両」として捉える事が出来るように思います。

以上を踏まえて、この〈参考2〉では、かつて「ラビットカー塗装」を纏った事がある同塗装のリバイバル塗装車を「復活塗装車」と捉え、それらの車両に対して行われた過去2回の復活塗装化の動きをざっと紹介します。


■6800系モ6850形C#6851[Mc]

最初の「ラビットカー塗装」のリバイバル化が行われたのは、1987年の秋です。

この時はまだ「ラビットカー」各車が近鉄線で現役しており、同年は6800系が運転開始から30周年を迎えた事から、これを記念するイベントが行われました。そのメインとも言える内容が「ラビットカー塗装」の復活です。

〈 Twitter より埋め込み・引用〉

この時に「ラビットカー塗装」を纏った車両は、1957年の6800系登場時に竣工したモ6850形C#6851[Mc]です。外板の塗り替えは、「6800系運転開始30周年記念イベント列車」の充当に合わせて行われました。イベントの案内パンフレットや正面に掲出されたHMには、“甦るラビットカラー”との記載があります。

ちなみに、引用したTwitterにも記載されている通り、1987年当時は、塗装変更で一般車の外板がマルーン一色から赤白ツートンへ改めてられていた時期で、6800系の中にも既に赤白ツートンとなった車両が存在していました。この時のイベント列車企画は、そうした状況と6800系登場30周年の節目を上手く活用する事により、過渡期ならではの混色の見た目をさらに面白くしようと考えられて進んだのかもしれません。

イベント列車の走行機会は、10月18日(日)と11月1日(日)で2回設定されました。それぞれの日程では、充当車両や連結順序 (※2) の他、細かなイベント内容が異なっていたようです。

〈 Twitter より埋め込み・引用〉
〈 Twitter より埋め込み・引用〉

復活した「ラビットカー塗装」に関しては、色彩や帯の太さといった細かい事は不明です。

ただ、「ラビットマーク」については、Wikipediaの「近鉄6800系電車-改造・廃車」のページ内容曰く、兎ロゴはステンレス無塗装の物を取り付けた模様。1963年度以降に竣工した車両が付けていた当時物をそのまま装着したのか、この時のイベントに合わせて新調した物を取り付けたのかは不明です。

ロゴ下の英字表記に関しては、ソーシャルメディアの情報を参考にする限り、突起のある物を取り付けている様子。こちらも、6800・6900・6000系のいずれかが装着していたアルミ合金製の文字なのか、イベントに際して新調した物なのかは不明です。


※2 イベント両日の充当車両と連結順序については以下の通り。各車両の見た目は、C#6851が「ラビットカー塗装」、[ ] 内の6813Fが赤白ツートン塗装、それ以外がマルーン単色です。

・1987.10.18: ←吉野 C#6851+[C#6813+C#6814]+C#6856 大阪阿部野橋→

・1987.11.01: ←吉野 C#6851+C#6853+[C#6813+C#6814] 大阪阿部野橋→


「ラビットカー塗装」に復元された C#6851[Mc] が一般の運用に就いたかどうかは分かりませんが、車両自体はイベント後まもなく運用を離脱して廃車となっています。

『鉄道ピクトリアル臨時増刊号 No.569 〈特集〉近畿日本鉄道』P232 によると、除籍された C#6851[Mc] は「ラビットカー塗装」のまま古市検車区の構内入替用機械となり、妻面寄りには C#6852[Mc] の運転関連機器を流用した入替用簡易運転台を設けたとの事です。

〈 Twitter より埋め込み・引用〉
〈 Twitter より埋め込み・引用〉

古市入替車となった後の C#6851[Mc] の見た目に関しては、上述の『鉄道ピクトリアル』誌や引用したTwitterに掲載されている画像を参考にすると、正規運転台側正面と両側面の車号および両面の渡り板が撤去された他、妻面寄りの両側面第一扉部に係員乗降用の手摺が各3本、そして各扉下に3段の梯子が追設されています。

また、簡易運転台が設けられた妻面の方は、ライトケースに収められた2灯式の前照灯 (いわゆる“ブタ鼻ライト”) が中央上部に設置されている他、簡易運転台側の出入り口を側面の客用扉に限定した故か、貫通扉そのものを交換して開閉できないよう固定化した様子です。外板に関しては、「ラビットカー塗装」の後、他の構内入替車で共通していた塗装 (=マルーン単色車体で両面に黄色帯を付した姿)に改められています。

「ラビットカー塗装」の復活塗装車となった C#6851[Mc] が古市入替車としての役目をいつ頃に終えたのかは分かりませんが、あまり話題に上がって来ない辺りから察するに、最終的には上述した見た目の状態でひっそり解体(※3)されたと思われます。


※3 [「◆ 保存車・廃車体一覧2 (1993) 補遺-3. 解体または撤去が確認されたもの」―『RAIL FAN (1998.08/No.548)』]のリスト(P13)には、入替車化後のC#6851に関する情報があり、ここでは1996.07の確認時点で「古市工場入替車 (解体予定)」と記載されています。また、[「TOPIC PHOTOS/近鉄元モ6850形の古市工場入替車解体か」―『鉄道ピクトリアル(1996.12/No.630)』]では、1996-07-28付けで撮影された元C#6851の写真が掲載されている他、同車が96年夏から解体線に留置され未稼働となっている件および工場移転に伴う同年秋の解体可能性についての言及があります。元C#6851の詳細な解体時期は不明ですが、1996.07以降、96年度後半期に解体された可能性は高そうです。



■養老線管理機構600系606F

さて、「ラビットカー塗装」リバイバル化の第1回目は1980年代後半の出来事でしたが、続く第2回目の実現は2000年代後半まで下ります。

モ6850形C#6851[Mc]に続いて「ラビットカー塗装」を纏ったのは、モ6850形C#6857[Mc]およびC#6858[Mc]の2両もとい現在は養老線管理機構の600系606Fとして活躍している編成です。

〈大垣-西大垣/2020-06-01〉
〈西大垣/2018-11-12〉

2両は、南大阪線系統から近鉄時代の養老線へ移籍した際、(モ6850形C#6857[Mc]→モ606形C#606[Mc])・(モ6850形C#6858[Mc]→ク506形C#506[Tc])となっており、電装解除したC#6858を方向転換する事で固定編成化されました。

転属にあたって必要な改造は塩浜で行われたようで、一連の工事は1994.11.29付で完了した模様。床下機器の配置変更・幌枠の撤去・車外スピーカーの設置などを終えて、養老線へと活躍の場を移しています。

2両の外板塗装に関しては、C#6857およびC#6858時代だと、共に「ラビットカー塗装」で竣工(※4)した後、1960年代後半から進んだ一般車マルーン単色化の塗装変更を経て、南大阪線所属末期に赤白ツートン塗装へと変遷しています。

その後、南大阪線から養老線転属を経ても、しばらくは赤白ツートン塗装 (裾帯や屋根周りのマルーン色付けを省略した塗り分け含む) で推移しました。2005年10月の検査・お色直し等実施時以降は再びマルーン単色となっており、養老線が養老鉄道運営下となった後も約1年半少し単色を維持しています。


※4 [「4⃣南大阪線系統-④高性能時代の車両-モ6800形・モ6850形」―『キャンブックス 近鉄電車』、P196]に、「ラビットカー塗装」時代のC#6857を写した記録が掲載されています。また、606Fの2両と同時期製造のC#6856に関して、[「ラビットカー」―『鉄道史資料保存会 近鉄電車80年』、P97]に竣工直後と思しき同車を写した記録が、[「モ6850 (51~58)」―『私鉄ガイドブックシリーズ4 近鉄 (1970)』、P160]に検査・お色直し等を終えてマルーン単色となった直後と思しき同車を写した記録が掲載されています。気になる方はこれらも参考にどうぞ。


〈東方操車場/2016-03-13〉

養老鉄道発足後、606Fに対して「ラビットカー塗装」を復活させるとのアナウンスがあったのは、2009年8月上旬(=情報公開4日・養老鉄道公式サイトでの発表6日)です。この時の606Fは、2回目の車体更新 (→ 以下、B更新と呼称) を行うべく、同年6月上旬(=5日、別日の塩浜回送経由)に五位堂へ入場しており、この更新明けの出場以降、現在に至るまで「ラビットカー塗装」の復活塗装車となっています。

「ラビットカー塗装」復活の契機については、この時は特にこれといって記念すべき節目に合わせた様子はありませんでした。ただ、B更新や検査・お色直し等の実施時期というのは、恐らく、リバイバル化然り外板塗装の大幅な変更を行うタイミングとして適当なのでしょう。6051Fの場合は、節目に間に合う適当な車両を「ラビットカー塗装」の復刻塗装車とした様子でしたが、606Fの場合、塗り替える車両が予め定まっているので、「ラビットカー塗装」の復活企画自体もこの時期に合わせる形で進められた可能性がありそうです。

また、「ラビットカー塗装」の復活と近い時期にあった参考になる出来事として、同じく経営難を背景に近鉄から分離された伊賀鉄道が、近鉄から貸与されていた860系2編成に対して復活塗装化や復刻塗装化を施す取り組みを行っていた事が挙げられます。車両そのものも客寄せ要素に仕立て上げるという観点からみれば、こうした動きに触発されて、かねてからのマルーン単色化の流れに加える形でリバイバル化を行った節は考えられそうです。

〈播磨-桑名/2017-08-14〉
〈東方操車場/2016-03-13〉

B更新を終えた606Fは、2009年8月中旬(=18日)に五位堂を出場し、そのまま塩浜へ入場しました。

一連の入出場に際しては、モト90形2種に標準軌線上での走行をアシストされており、606Fは、(五位堂-塩浜) を C#97[McF] と C#98[McF] に挟まれる形で、(塩浜-桑名-東方操車場) を C#94[McF] と C#96[McF] に挟まれる形で移動しています。

ちなみに、五位堂出場時点における606Fの外板は、2両ともオレンジバーミリオン一色の状態でした。白帯や「ラビットマーク」の取り付けは、塩浜入場後に同所で行われています。マークのロゴや英文字については、先述の通り、銀色の転写式ステッカーで表現されており、これは現在も同じ状態です。

〈東方操車場/2016-03-13〉
〈西大垣/2020-06-01〉

登場時に近い姿へ戻された606Fは、9月上旬(=3日)に塩浜を出場。東方操車場へ到着後、午前の内に台車を振り替え、午後には日中試運転を行っています。

客扱い開始は9月中旬からで、初運用は、「ラビットカー塗装」復活イベントの一環として13日(日)にツアー形式で開催された「試乗会」の団体貸切列車でした。記念入場券や関連グッズ5種もこの日から販売開始となっており、翌14日(月)からは一般列車への充当も始まっています。

以降、現在に至るまで、養老線管理機構606Fの「ラビットカー塗装」は継続中です。

606Fの種車となったモ6850形2両は、1963.05.30付竣工の6800系最終増備車群に含まれる車両なので、先日に竣工から57年目を迎えたわけですが、2019年度完了の東急7700系転入によって置き換えられる事なく現役を続行しています。

〈伊勢朝日-川越富洲原/2017-08-14〉
〈西大垣/2020-06-01〉

2009年度以降の606Fは、現在までに2回(※5)、検査・お色直し等目的で塩浜へ入場しており、それぞれの出場でATS-SPの設置やパンタグラフの [下枠交差形→シングルアーム形] 化などの変化がありました。

また、並行して車両の所属も変化しており、まず 2014.04.01付で近鉄が養老鉄道へ車両を貸与するスタイルを終了した事により、606Fを構成する2車両は近鉄から形式消滅。その後、一旦は養老鉄道の保有車となっていますが、2018.01.01付で一般社団法人養老線管理機構の管理下に置かれる事となり、現在はこの法人が養老鉄道へ車両を貸与するスタイルで編成が運用されています。


※5 2009年度以降における606Fの塩浜入出場時期については以下の通りです。

・2013.07.01:塩浜入場(検査・お色直し等目的)

・2013.09.05:塩浜出場(検査他、ATS-SP装備)

・2017.08.14:塩浜入場(検査・お色直し等目的)

・2017.10.23:塩浜出場(検査他、パンタグラフ交換)


〈西大垣/2020-06-01〉

養老線を走る元近鉄車両の塩浜入出場は、廃車等のイレギュラーを除いて約4年周期で行われているようなので、順当に考えるなら、次に606Fが塩浜へ入るのは2021年度の夏から秋にかけての時期という事になります。

モ6850形として1963年度に竣工した当時の「ラビットカー塗装」が復活してから、早くも10年が経過した606Fですが、現状、その姿で累計約12年の活躍は見込めそうです。

〈参考2〉


1-2:復刻塗装を纏った6020系6051Fの外観

現状、養老線管理機構の600系606Fが3期12年見込みで「ラビットカー塗装」を纏っているのに対し、2016年度から2期目の「ラビットカー塗装」を纏う6020系6051Fの方は、2020年8月に行われたお色直しで通常塗装とされました。6051Fの「ラビットカー塗装」が終了する前後の動きについては次項目で取り上げますが、その前に、この項目で「ラビットカー塗装」を纏っていた時の6051Fの外観を取り上げます。

ところで、606F・6051Fそれぞれの各期移行時に行われたお色直しでは、前者が2回・後者が1回、「ラビットカー塗装」で再塗装された事になりますが、その移行前後の見た目には、共にちょっとした差異が散見されました。

この事も踏まえ、当項目では以下、各時期における606Fや6051Fの見た目に関する話題も交えながら、6051Fが第2期「ラビットカー塗装」を纏って活躍していた時の各所外観を簡単に紹介します。


最初は正面外観です。

比較用に第1期の時の外観画像も付します。

〈左:橿原神宮西口-橿原神宮前/2016-06-04〉※第1期
〈右:橿原神宮前:2020-06-11〉※第2期

当然ながら、第1期・第2期共にオレンジバーミリオン一色に白帯を付した「ラビットカー塗装」の外装です。

C#6051[Mc]の正面にある貫通幌は、第1期の五位堂出場試運転終了後に[赤色幌(FRP)→灰色幌(FRP)]へ交換されています。いつどこで交換したのかは不明ですが、車体色に合う見た目を重視した故なのか、早くも初運用の貸切列車充当時点で灰色幌を装着していました。また、両先頭車の標識灯光源については、2019年2月下旬にライト基板の交換が行われたようで、現在は従来のハロゲンからLEDへ変更されています。

変更関連の話題でついでに触れておくと、6051Fの車内に関しては、第1期終了後、五位堂での検査・お色直し時に座席のモケットを変更(赤色系モケット→白色系モケット)しており、第2期で内装の色調が若干変化しました。


続いて、側面・妻面含む全体外観です。

ここでは、編成全体に回る白帯と「ラビットマーク」について触れます。

〈橿原神宮前:2016-08-04〉※第1期
〈橿原神宮前:2020-06-11〉※第2期

白帯については、第1期から第2期へ移行する際、その巻き位置が若干ながら下げられました。帯の厚さについては、第1期の分を計測していないので何ともですが、恐らく同じだと思います。ちなみに、6800系登場時の外板塗装に配されていた白帯の厚さは100mm(※6)だったそうです。

一方、元6800系である606Fの白帯巻き位置に関しては、[第1期→第2期]で若干下がり、[第2期→第3期]で大分と上げられています。こちらは、今の所、現在の第3期の帯位置が過去一番高い状態です。

これらの白帯は、所属検車区でなく検査・お色直し等を行う場所で入れているようで、606Fの場合は塩浜検修車庫・6051Fの場合は五位堂検修車庫にて、出場前に帯入れする流れとなっています。


※6 [「戦後飛躍期の近畿日本鉄道新製車両について―5. 6800系(南大阪線)―1 新製時概要〔車体関係〕」―『鉄道ピクトリアル2003・12臨時増刊―車両研究/1960年代の鉄道車両』、P114]より。性能・変遷等に関する6800系の概説が気になる方はこちらも参考にどうぞ。


〈橿原神宮前/2016-09-07〉※第2期
〈橿原神宮前/2016-09-07〉※第2期
〈西大垣/2020-06-01〉※606F第3期

妻面への帯の回り込みに関しては、6051Fの場合、第1期・第2期共に白帯が入れられる事はありませんでした。

それに対して、606Fは第1期から第3期の全てで妻面にも白帯を回り込ませています(配管含む)。竣工当時の6800系やその後の6900・6000系では、妻面まで白帯を回り込ませていた(配管含まず)ようなので、妻面外観の再現スタイルとしては、606Fの方が近いという事になるのかもしれません。

606Fと6051Fとで妻面白帯の有無が分かれた理由については不明です。考えられる要因として有力なのは、「ラビットカー塗装」リバイバル化時点における転落防止幌の有無が挙げらます。

〈橿原神宮前/2020-06-11〉

現在まで転落防止幌が設けられていない606Fに対して、6051Fの方は第1期開始前の時点で段違いタイプの転落防止幌が設置(=B更新時)されていました。

リバイバル化にあたって帯入れを行う事になった際、もしかしたら、乗客に見えにくいかつ帯の回り込み処理がやりづらくなった妻面に対しては、手間をかけてまで帯入れする必要性が認められなかったのかもしれません。

ちなみに、妻面の見た目に関連して言えば、12600系以前の高性能特急車は、登場時からしばらくの間は妻面に対して紺色の回り込み塗装を行っていた時期があります。ただ、こちらは2000年代初頭から順次廃されており、また同じ時期には、赤白ツートンを纏っていた一般車の方も妻面含む塗装の簡略化が進められていました。

2000年前後に特急車・一般車の双方で外板塗装の簡略化が進んだ背景の詳しい所は分かりませんが、2000年代になって近鉄が営業車両への転落防止幌設置を本格導入していった事を鑑みると、もしかしたら、この時の塗装簡略化は、将来的に乗客の目から見えにくくなる妻面でもこだわっていた見た目を毎度再整備する手間を省く事が一目的としてあったのかもしれません。

さて、白帯の話題に戻ります。

<橿原神宮前 [構外] /2020-06-21>
<橿原神宮前 [構外] /2020-06-21>

検査・お色直し等を行う場所で入れられた白帯については、6051Fの場合、外装を見る限りだとオレンジバーミリオン一色塗りの後にマーキングフィルムで表現されているように見えます。ちなみに、車番の色入れについては、元の車番色の上にオレンジバーミリオン一色を塗った後、さらにその上から色入れを行っている様子があり、こちらは銀色です。

〈西大垣/2020-06-01〉※606F第3期

一方、606Fの方も車体をオレンジバーミリオン一色にした最後にマーキングフィルムで白帯入れを行っている様子です。

先述の通り、こちらは現在も車体間の転落防止幌が設けられておらず、妻面の貫通幌受けまで目一杯白帯が入れられています。屋根上からの各種配管に対しても、フィルムを巻き付けるような形で白帯入れが行われており、こちらは貼れる所までとにかくフィルムを貼っているという印象です。

「ラビットマーク」については、〈参考1〉でも述べた通り、各車両の車体公式側1位寄りおよび同非公式側2位寄りで1両あたり2か所に入れられています。

〈橿原神宮前-畝傍御陵前/2016-09-06〉

この取り付け位置は、過去3回のリバイバル化でも共通しており、1960年代に「ラビットカー塗装」を纏った多くの車両でも同じでした。

ちなみに、「ラビットマーク」の取り付け車両について細かな事を言えば、1960年代に「ラビットカー塗装」を纏った車両の中でT車に分類される3両(=サ6150形) は、近い将来のマルーン単色化を見越した故か、マークを付けずに竣工しています(※7)。

「ラビットカー」の見た目要素を併せ持つ車両を視る際、この点を考慮するのであれば、「ラビットマーク」も取り付けた6051F-C#6171[T]は、復刻塗装化で初出の見た目を有する「ラビットカー塗装」のT車という事になりそうです。


※7 [「ク6100 (01~14)/サ6150 (51~53)」―『私鉄ガイドブックシリーズ4 近鉄 (1970)』、P163]に「ラビットカー塗装」のC#6152を写した記録が掲載されています。気になる方はこちらも参考にどうぞ。



〈参考3〉第2期「ラビットカー塗装」を纏った6051F各車両の全体外観(計16枚)

〈参考3〉内における「公式側」は、車両に対して [1位 (車両側面) 2位] となっている側の事を指します。反対に「非公式側」は、車両に対して [2位 (車両側面) 1位] となっている側の事を指します。

〈参考3〉掲載画像の撮影は全て〈今川/2020-08-10〉


● C#6051[Mc]…(4枚)

・公式側1位寄り

・公式側2位寄り

・非公式側1位寄り

・非公式側2位寄り


● C#6052[M]…(4枚)

・公式側1位寄り

・公式側2位寄り

・非公式側1位寄り

・非公式側2位寄り


● C#6171[T]…(4枚)

・公式側1位寄り

・公式側2位寄り

・非公式側1位寄り

・非公式側2位寄り


● C#6136[Tc]…(4枚)

・公式側1位寄り

・公式側2位寄り

・非公式側1位寄り

・非公式側2位寄り

〈参考3〉


1-3:6051Fの季節臨充当実績と復刻塗装終了前後の目立った動き

2012年8月に6051Fを塗り替え対象として登場したリバイバル「ラビットカー塗装」ですが、前項目冒頭で触れた通り、2020年8月に行われたお色直しで6051Fの車体色が通常塗装とされた事に伴い終了となりました。

「ラビットカー塗装」を纏った6051Fは、その見た目で長らく運行されてきた事もあって近年の南大阪線系統において異彩を放つ車両群の代表格となっていましたが、登場契機となった2012年の吉野線開業100周年企画「吉野飛鳥 近鉄エリアキャンペーン」から随分と経過している事や第3期実施で吉野線開業110周年を迎える事なども影響してか、2020年の検査・お色直し等に伴う五位堂入場で通常塗装に戻されています。

〈上ノ太子-二上山/2016-09-08〉
〈浮孔-坊城/2017-01-02〉
〈飛鳥[改札外より撮影]/2017-04-07〉

さて、南大阪線系統に「ラビットカー塗装」が復刻登場した8年少しを振り返ってみると、リバイバル塗装車となった後の6051Fは、定期列車に加えて臨時・貸切等の不定期列車にしばしば充当されていた事が思い出されます。定期列車の中での注目に値する運用実績については、私自身が運用に疎い事もあって多くは分からないのですが、この事を差し置いても、復刻塗装化後の同編成が1期・2期を問わず季節毎の臨時列車・イベント列車へ積極的に充当されてきた事は特筆すべき事だと思います。

この事を踏まえ、当項目では以下、「ラビットカー塗装」の6051Fを振り返る〆として、同塗装が復刻された後における同編成の季節臨充当実績と復刻塗装終了前後の様子を紹介します。


先ずは季節臨充当実績です。

6051Fが所属する南大阪線系統には、季節毎に運行される不定期の愛称付き臨時列車が今までに多数存在しており、他の路線系統から同様の不定期列車がほぼ消滅した近年においても、「さくら号」「葛城高原号」「開運号」の3種類の愛称付き臨時列車が健在しています。

こうした愛称付き列車に充当される車種は、基本的には特段決められていないと思うのですが、「ラビットカー塗装」を纏った後の6051Fは、約8年の活躍期間において上述した愛称付き3列車全てに比較的多く充当されました。

〈全て第2期の6051F/2017年度-2018年度〉

愛称付き3列車の中で6051Fが最初に充当されたのは、「開運号」でした。こちらには充当の契機があり、復刻塗装1期開始から間もない頃、6051Fを正月期の臨時急行「開運号」へ充当する事を告知するプレス()が出されています。このプレスが出た後は、6051Fの「開運号」充当が半ば恒例の事となり、2期開始後もしばらく同様の状況が続きました。

また、「開運号」ほどの充当日数はありませんでしたが、他の愛称付き2列車、すなわち春期運行の「さくら号」およびGW期(ツツジ開花期)前後運行の「葛城高原号」に対しても、それぞれで累計7日間、復刻塗装化後の6051Fが充当されています。


〔参考資料2〕「ラビットカー塗装」車両の「開運号」充当告知

初詣に便利な「開運号」の一部列車をラビットカー(リバイバル塗装)、吉野線ラッピング車両で運転します!

(KINTETSU NEWS RELEASE/2012.12.21付発表)…PDF形式

※新規タブで開きます



〈参考4〉6051Fの季節臨充当実績(復刻塗装時代)

●「さくら号」

① 2014.04.14(月) … 往復 (6923レ → 7522レ) ※ 初回充当

② 2015.04.10(金) … 往復 (6923レ → 7522レ)

③ 2017.04.07(金) … 往復 (6923レ → 7522レ) ※ 第2期の初回

④ 2018.04.06(金) … 往復 (6923レ → 7522レ) 

⑤ 2019.04.10(水) … 往復 (6923レ → 7522レ) 

⑥ 2020.04.04(土) … 往復 (6923レ → 7620レ) 

⑦ 2020.04.05(日) … 往復 (6921レ → 7524レ) 

〈岡寺-飛鳥/2019-04-10〉
〈高田市/2020-04-05〉

●「葛城高原号」

① 2013.05.06(月/祝) … 往路 (6943レ) ※ 初回充当

② 2015.05.09(土) … 往路 (6941レ)

③ 2017.05.05(金/祝) … 往路 (6941レ) ※ 第2期の初回

④ 2017.05.06(土) … 往路 (6941レ)

⑤ 2017.05.07(日) … 往路 (6941レ)

⑥ 2018.05.04(金/祝) … 復路 (7540レ) ※ 復路初充当 

⑦ 2018.05.12(土) … 復路 (7540レ) 

〈 Twitter より埋め込み・引用〉
〈 Twitter より埋め込み・引用〉
〈 Twitter より埋め込み・引用〉

●「開運号」

[2012年度]

① 2013.01.01(火) … 3往復 (7023レ ~ 7520レ) ※ 初回充当、2枚看板掲出

② 2013.01.02(水) … 3往復 (7023レ ~ 7520レ)

③ 2013.01.03(木) … 3往復 (7023レ ~ 7520レ)

[2013年度]

④ 2014.01.01(水) … 3往復 (7023レ ~ 7520レ) 

⑤ 2014.01.02(木) … 3往復 (7023レ ~ 7520レ)

⑥ 2014.01.03(金) … 3往復 (7023レ ~ 7520レ)

[2014年度]

⑦ 2015.01.01(木) … 3往復 (7023レ ~ 7520レ) 

⑧ 2015.01.02(金) … 3往復 (7023レ ~ 7520レ)

⑨ 2015.01.03(土) … 3往復 (7023レ ~ 7520レ)

[2015年度]

⑩ 2016.01.01(金) … 3往復 (7023レ ~ 7520レ) 

⑪ 2016.01.02(土) … 3往復 (7023レ ~ 7520レ)

⑫ 2016.01.03(日) … 3往復 (7023レ ~ 7520レ)

[2016年度]

⑬ 2017.01.01(日) … 3往復 (7121レ ~ 7522レ) ※ 第2期の初回、3本目初充当

⑭ 2017.01.02(月) … 3往復 (7121レ ~ 7522レ)

⑮ 2017.01.03(火) … 3往復 (7121レ ~ 7522レ)

[2017年度]

⑯ 2018.01.01(月) … 3往復 (7121レ ~ 7522レ) 

⑰ 2018.01.02(火) … 3往復 (7121レ ~ 7522レ)

⑱ 2018.01.03(水) … 3往復 (7121レ ~ 7522レ)

[2018年度]

⑲ 2019.01.01(火) … 3往復 (7121レ ~ 7522レ) ※ 前年度まで掲出の復刻版角型特殊看板は非掲出

⑳ 2019.01.02(水) … 2往復 (7123レ ~ 7430レ) ※ 4本目初充当

〈上ノ太子-二上山/2016-01-02〉
〈大阪阿部野橋/2017-01-03〉

〈参考4〉


「ラビットカー塗装」を纏った6051Fの季節臨充当状況を概観すると、愛称付き3列車への充当回数は、第2期開始後の2017年度が最も多いです。ただ、第1期開始後から定番となっていた「開運号」への充当機会は、この年度以降で規模が縮小されて現在に至ります。

一方、第2期に入ってからは「さくら号」への充当が定番化しており、コロナ禍にあった2020年度の春は、リバイバル化されてから初めて2日連続の充当となりました。


続いて復刻塗装終了前後の様子です。

2020年は、第2期「ラビットカー塗装」を纏った6051Fの前回検査完了から約4年が経過する年でした。2020年度開始後、検査・お色直し等実施に伴う6051Fの五位堂入場は時期的に夏のどこかという事が予想され、実際、同編成は夏真っただ中に五位堂へ回送されたのですが、その前に一時運用から離れた期間が存在しています。

〈橿原神宮前/2020-06-10〉

運用離脱期間は5月28日から6月11日までの約2週間で、離脱後しばらくは古市車庫で留置が続いていました。その後、6月10日には橿原神宮前へ回送され台車振替場に入場しており、翌11日には出場。さらに翌12日からは運用復帰(=595レ~)しています。

離脱の理由は不明ですが、時期が時期であった故、橿原神宮前への回送が検査・お色直し等に伴う五位堂入場と考えた方は一定数いたのではないかと思います。

ただ、それから間もない8月上旬には再び運用を離脱しており、この時、検査・お色直し等を実施する目的で五位堂検修車庫へと回送されました。

〈橿原神宮前-畝傍御陵前/2020-08-11〉
〈橿原神宮前-畝傍御陵前/2020-08-11〉

五位堂入場前の営業運用は、2020年8月10日(月)の1251レまででした。同列車充当後はそのまま古市車庫へ入庫しており、同日夜には橿原神宮前の台車振替場へと回送されています。翌11日(火)になると、台車振替場にて編成の[狭軌→標準軌]台車振替が始まりました。

ちなみに、南大阪線系統の4両編成車を標準軌線上の五位堂検修車庫へ入場させる際は、阿部野橋方2両と吉野方2両を分割して前後半二日間で五位堂へ回送するという一つの流れがあります。この時は、11日(火)に阿部野橋方2両(= C#6171[T]-C#6136[Tc])・12日(水)に吉野方2両(= C#6051[Mc]-C#6052[M])が本台車から標準軌線走行用の仮台車へ履き替えを行っており、それぞれ台車振替を行った日の午後に五位堂検修車庫へ移りました。

〈五位堂-近鉄下田/2020-08-13〉

五位堂に入場した6051Fは、再び一時的に編成が組まれ、編成全体に回り込んでいた白帯や転写式ステッカーで表現されていた各車両側面の「ラビットマーク」が剥がされています。

銀色に塗られていた各車両外板の車番表記部も再塗装に備えるべくなのか、研磨されている様子でした。

検査明けのお色直しに向けて「ラビットカー塗装」状態で作業中の6051Fは、場所を変えつつ一定期間建屋外で留置されていましたが、入場した翌週初めには建屋内に取り込まれています。

その後、検査・お色直し等を終えた6051Fは、入場から約2週間が経過した8月27日(木)に五位堂検修車庫を出場しました。上述している通り、6051Fは、この時の車体再塗装で従前からの「ラビットカー塗装」が解除されています。出場後の外板塗装は、他の6020系各編成と同様、赤白ツートンで塗り分けられた現行一般車の標準塗装です。

〈橿原神宮前/2020-08-28〉
〈橿原神宮前/2020-08-28〉

五位堂検修車庫から橿原神宮前への回送は、吉野方2両(= C#6051[Mc]-C#6052[M])が27日(木)の昼・阿部野橋方2両(= C#6171[T]-C#6136[Tc])が同日夜でした。

台車振替場での[標準軌→狭軌]台車振替は、前者が27日中・後者が翌28日の実施で、28日には後者の振替完了と共に両者を連結して編成を組んでいます。

本台車を履いた6051Fが台車振替場を出たのは週明け31日(月)で、日中試運転を行った後は古市車庫へ入庫しました。

〈今川/2020-09-03〉

31日の午後に古市検車区へ帰区した6051Fは、1日置いた後、9月2日(水)の7521レより運用に復帰。翌3日も続けて営業に就いており、次の検査・お色直し等に伴う五位堂入場までは、再び使い込まれていく事になると思われます。

1-4:おわりに

かつての「ラビットカー塗装」は、1957年の初出から一般車の標準塗装をマルーン単色で統一する1960年代後半までの間、約10年少し現役だった見た目です。

なので、もし6051Fが第3期の復刻塗装を実施するのであれば、養老線管理機構の600系606Fと同じくリバイバル化した見た目がモチーフとした見た目より長く現役する事になったのですが、結局それは叶いませんでした。

〈上ノ太子-二上山/2016-12-18〉
〈壺阪山[改札外より撮影]/2020-08-07〉

ここ8年ほど「ラビットカー塗装」の車体色で傍から見ても目立つ存在だった6051Fですが、いざ他の一般車編成と同様の塗装に戻ってしまうと、多くの方々にとっては、特別な6020系から何の変哲もない6020系に戻ってしまうのではないかと思えます。

私個人としては、通常塗装となった6051Fを見るのが高校時代以来なので、今後しばらくは新鮮な気持ちで同編成を記録する事になりそうです。


何にしても、「ラビットカー塗装」の復刻塗装は、2012年8月から2020年8月の約8年間で終了となりました。今後は、比較的長続きしている他の復刻塗装の処遇も気になる所ですが、それらも追々【特集】記事の体裁で取り上げていこうと思います。

今【特集】(Ⅰ)の記事は以上です。

同一【特集】(Ⅱ)-(Ⅷ) で取り上げ予定としている[2-8]の各項目内容についてはこちら

(当ページ下部の記載区画へ移動します)

9:リンク集

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【特集】近鉄のリバイバル塗装車

〈各項目内容〉…[2-8]

各項目 ( ) 内は、(当該リバイバル塗装車の活躍時期/車両分類)、★は一言概要

他【特集】記事で投稿済の項目は下線付き(リンククリックで当該【特集】記事ページへ移動)


2:15200系15204F (2013.07~/団体専用車) …(Ⅱ)

★ 20100系「あおぞら」の外装を再現した「リバイバル塗装車」

★ 普段は標準軌線の団体貸切運用で活躍


3:コ3形コ3およびコ4 (2013.08~/ケーブルカー) …(Ⅲ)

★ 1999年10月以前の塗り分けに近い見た目を再現した「復活塗装車」

★ 普段は生駒ケーブル宝山寺線宝山寺2号線で活躍


4:5800系5802F (2014.04~/一般車) …(Ⅳ)

★ 大阪電気軌道デボ1形の登場時の外装を再現した「リバイバル塗装車」

★ 普段は奈良線系統の一般運用で活躍


5:5200系5205F (2014.09~/一般車) …(Ⅴ)

★ 2250系の登場時 (特急専用車時代) の外装を再現した「リバイバル塗装車」

★ 普段は大阪系統の一般運用で活躍


6:8400系8414F (2018.03~/一般車) …(Ⅵ)

★ 820系の登場時の外装を再現した「リバイバル塗装車」

★ 普段は田原本線のワンマン列車を中心とした奈良系統の一般運用で活躍


7:8400系8409F (2018.07~/一般車) …(Ⅶ)

★ 田原本線が近鉄線となる前後時点の初代600系列モ660形等の外装を再現した「リバイバル塗装車」

★ 普段は田原本線のワンマン列車を中心とした奈良系統の一般運用で活躍


8:1440系1438F (2019.07~/一般車) …(Ⅷ)

★ 志摩線が近鉄線となる前、三重交通で標準とされた車両の外装を再現した「リバイバル塗装車」

★ 普段は伊勢中川以東のワンマン列車を中心とした名古屋線系統の一般運用で活躍

〈各項目内容〉



このページの内容は以上です。

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近鉄電車が見える家で育った鉄道オタク。車両の差異や変遷に興味あり。鉄道の他に鳥も好きで、最近は鳩に癒される事がしばしば。
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