■記事概要
ここ数年、各地の鉄道会社では、昔に在籍していた車両が纏っていた、もしくは在籍車両がかつて実際に纏っていた見た目を再現する、車両外装のリバイバル化がブームとなってきました。近鉄でも、今までに多くのリバイバル塗装車が登場しており、2022年05月現在は5種が各系統線区で活躍中です。
今回の【特集】記事では、かつて存在した車両の話題も交えながら、2010年代以降に登場して1年以上に渡る活躍があった近鉄のリバイバル塗装車を登場順・複数回構成で紹介します。
この記事では、「ラビットカー塗装」を取り上げ対象とし、その復刻塗装車である6020系6051Fの姿を中心に前後編2回で内容を取り上げます。
今回の記事は「ラビットカー塗装」(前編)です。
※今回の【特集】記事は、「ピロのブログVer2」にて以下のタイトルで掲載した記事を各リバイバル塗装車別の取り上げ記事へと構成を変更・リメイクした記事です。
※同様タイトル記事は、最初に「ピロのブログVer3」にて2020.06.14付で投稿した後、その内容を加筆修正して2020.10.23付で再公開していますが、その後に活躍するリバイバル塗装車の陣容が変化した事と「ラビットカー塗装」に関してまとまって追記できる情報が増えた事を考慮し、2022.05.16付けでさらに加筆&画像追加および構成変更を行いました。
※2022.05.16付の変更では、「ラビットカー塗装」の取り上げを前後編の2編構成とし、【特集】のテーマである「リバイバル塗装車」の取り上げ対象に「西信貴ケーブル-コ7形」を追加しています。
〈以前の記事タイトル〉
・ 【特集】近鉄リバイバル塗装車
-2017.03.24投稿(ピロのブログVer2)
・【特集】近鉄のリバイバル塗装車(Ⅰ) -「ラビットカー塗装」
-2020.06.14投稿/10.23加筆修正(ピロのブログVer3)
■記事本文
こんばんは。
今回は【特集】記事です。取り上げる話題は、近鉄線での活躍があったリバイバル塗装車となります。
以前に「ピロのブログVer2」でも取り上げた事のある話題ですが、あれから数年が経過し、復活塗装車や復刻塗装編成の総数は変化しました。中には、長期に渡って復刻塗装を維持する編成も存在しており、近鉄車両の外板塗装史において「リバイバル塗装」というジャンルが出来ているように思います。
今回の【特集】記事では、近鉄の「リバイバル塗装車」をテーマとし、2010年代以降に登場し1年以上に渡る活躍があったリバイバル塗装車について、各「リバイバル塗装」を纏った車両群を個別記事にて登場順で紹介します。内容は、それぞれの個別記事で対象とする「リバイバル塗装」が登場する前後の動きと塗装変更後における車体外観を取り上げの中心とし、併せてリバイバル元になった塗装や関連した動きについても分かる範囲で扱う事にします。
「リバイバル塗装車」をテーマとする【特集】記事内容は、以下の個別記事にて展開する予定です。必ずしも順番に取り上げていくとは限りませんが、記載している「リバイバル塗装」に関しては、順次取り上げを進めていきます。
今回記事の取り上げは「ラビットカー塗装」です。目次は個別記事表題下に記載している通りですが、分量の都合で前後編の2編にしており、今回は(前編)記事となります。
【特集】近鉄のリバイバル塗装車
1「ラビットカー塗装」
※「吉野線開業100周年記念塗装」
〈取り上げ対象車〉
・6020系6051Fほか
〈取り扱い記事〉
【特集】第4記事目…(前編)←今回記事
【特集】第5記事目…(後編)
2「あおぞら号塗装」
〈取り上げ対象車〉
・15200系15204F
〈取り扱い記事〉
未定
3「生駒ケーブル95周年記念塗装」
〈取り上げ対象車〉
・コ3形C#3&4
〈取り扱い記事〉
未定
4「奈良線開業100周年記念塗装」
〈取り上げ対象車〉
・5800系5802F
〈取り扱い記事〉
未定
5「2250系特急色塗装」
※「第3回近鉄エリアキャンペーン記念塗装」
〈取り上げ対象車〉
・5200系5205F
〈取り扱い記事〉
未定
6「田原本線開業100周年記念塗装①」
〈取り上げ対象車〉
・8400系8414Fほか
〈取り扱い記事〉
未定
7「田原本線開業100周年記念塗装②」
〈取り上げ対象車〉
・8400系8409Fほか
〈取り扱い記事〉
未定
8「志摩線開通90周年記念塗装」
〈取り上げ対象車〉
・1440系1438Fほか
〈取り扱い記事〉
未定
9「コ7形登場時塗装」
〈取り上げ対象車〉
・コ7形C#7&8ほか
〈取り扱い記事〉
未定
【特集】第4・5記事目 目次
1「ラビットカー塗装」
■取り上げ対象車…6020系6051F
★6800系『ラビットカー』登場時の外板色をモチーフにした「リバイバル塗装車」
★2012年9月に運用開始、以降は南大阪線系統の一般列車で活躍
★2020年8月完了の検査出場を以て当該編成のリバイバル塗装は終了
1-1:「ラビットカー塗装」初回復刻前後の動きと『ラビットカー』について
〔参考資料1〕「吉野飛鳥 近鉄エリアキャンペーン」関連プレスリリース
〈参考2〉 過去に行われた「ラビットカー塗装」リバイバル化の動き
1-5:リンク集
【特集】第4記事目-「ラビットカー塗装」(前編)の内容は以上
〈参考3〉第2期「ラビットカー塗装」を纏った6051F各車両の全体外観
(両側・両寄り計16枚)
・C#6051[Mc]…(4枚)
・C#6052[M]…(4枚)
・C#6171[T]…(4枚)
・C#6136[Tc]…(4枚)
1-3:6051Fの季節臨充当実績と復刻塗装終了前後の目立った動き
〔参考資料2〕「ラビットカー塗装」車両の「開運号」充当告知
〈参考4〉6051Fの季節臨充当実績 (復刻塗装時代)
1-4:おわりに
1-5:リンク集
【特集】第5記事目-「ラビットカー塗装」(後編)の内容は以上
では、記事内容に移ります。
※このページ内における「公式側」は、車両に対して [1位 (車両側面) 2位] となっている側の事を指します。反対に「非公式側」は、車両に対して [2位 (車両側面) 1位] となっている側の事を指します。
※このページでは、車両に対する1回目の車体更新をA更新、2回目の車体更新をB更新と呼称しています。
以下、すべて2022年05月16日現在
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1「ラビットカー塗装」
1-1:「ラビットカー塗装」初回復刻前後の動きと『ラビットカー』について
2010年代から登場した、近鉄車両に対する様々なリバイバル塗装の中で最初に登場したのが「ラビットカー塗装」です。
かつて南大阪系統で活躍していた6800系『ラビットカー』を始めとする系列が纏っていたカラーリングという事で、リバイバル化にあたっては、同系統で活躍する6020系が復刻塗装の対象となっています。「ラビットカー塗装」は、数あるリバイバル塗装の中でも復活ないし復刻の機会が多く、近鉄保有車両に対する同塗装のリバイバル化は、この時の6020系に対する実施で3回目でした。
それぞれのリバイバル化には、それを行う何かしらの契機が存在したわけですが、6020系に対する3回目の時は、「吉野線開業100周年記念『吉野飛鳥 近鉄エリアキャンペーン』」の一環で実施が決まっています。
同キャンペーンの実施期間は、吉野線が開業100周年を迎える2012年10月25日(木)の前後で設定されており、同年9月8日(土)から 12月9日(日)までの間で様々な記念イベントが催行されています。その内、「ラビットカー塗装」の復刻は、一連の最初に実施される予定となっていました。同復刻塗装車の登場を案内したプレス2種(※)にはリバイバル塗装へ変更される対象車種が明記されていませんでしたが、最初の告知が出た時点で、6800系の外形に近い車両が選定される事を予想していた方は多かったのではないかと思います。
その後、プレス2本目が出る前の2012年8月上旬に6020系6051Fが検査目的で五位堂検修車庫へ入場。この時に併せて行われたお色直しで編成各車の車体が従来の赤白ツートン塗装から「ラビットカー塗装」へと塗り替えられました。
検査・お色直し等を終えた6051Fは、8月31日(=昼:吉野方2両/夜:阿部野橋方2両)に同所を出場。翌9月1日(土)に日中試運転を行い、同8日(土)より運用を開始しています。この日は、「吉野飛鳥 近鉄エリアキャンペーン」イベントの一つである『~ラビットカーのリバイバル塗装車に初めて乗れる~ 吉野線開業100周年記念列車ツアー』の貸切列車に充当されており、ツアー名通り、貸切列車が塗装変更後の初運用となりました。
〔参考資料1〕「吉野飛鳥 近鉄エリアキャンペーン」関連プレスリリース
(KINTETSU NEWS RELEASE/2012.07.23付発表)…PDF形式
(KINTETSU NEWS RELEASE/2012.08.10付発表)…PDF形式
「ラビットカー塗装」で運用を開始した6051Fは、その後は快速急行から普通まで南大阪線系統を走る幅広い種別列車へ充当。季節限定運行の愛称付き列車や各方面の企画による貸切・臨時列車にも多数充当されました。オレンジバーミリオン一色に白帯を巻いた見た目の姿は、かつての6800系『ラビットカー』や登場当初の6900系・6000系の外装を彷彿とさせる仕上がりになっています。
※複数系列の車両愛称として存在する『ラビットカー』(および『新ラビットカー[=6900・6000/俗称?]』)は、以下より「ラビットカー」と表記
ちなみに、「ラビットカー」の見た目を特徴づけるオレンジバーミリオンの色彩に関しては、『鉄道ピクトリアル臨時増刊号 No.505 〈特集〉近鉄特急』P79において、「(略)~, 当時日本油脂の色彩調節委員会におられて, 1460, ラビット, 800, ビスタ, などの近鉄の色彩全般を考案された近藤恒夫先生~(略)」との記載があり、恐らく、この人物を中心に社内で車両色が検討されたのだと思われます。
この時「ラビットカー塗装」を纏った6051Fの車体色が昔の色彩に合わせられているのかどうかは不明です。ただ、雰囲気自体は合っているように思います。
「ラビットカー塗装」に関連して、ここでは「ラビットカー」の愛称由来とそのシンボルマークである「ラビットマーク」について簡単に触れます。
先ずは「ラビットカー」の愛称由来についてです。
「ラビットカー」は、南大阪線系統で最初期に投入された高性能通勤車である6800系に対して付された愛称です。この愛称は、その後に登場した増備系列で、オレンジバーミリオン一色に白帯の見た目を持つ車両に対しても付される場合があります。
この「ラビットカー」の愛称由来については、近鉄から発行された車輛パンフレット冒頭部に以下の記載があります。
この度近畿日本鉄道では南大阪線の輸送力、特に通勤輸送区間である阿部野橋―矢田間の増強のために16両の通勤専用電車を新造致しました。この車は先般完成した大阪線の通勤電車(1460型)の経験を基に、尚一層通勤車としての性能を向上させたもので ピョンピョン 跳び走る兎にちなんで愛称を ラビットカー と名付けました。
車輛パンフレット『南大阪線6801型 近畿日本鉄道 Sept 1957 近畿車輛 三菱電機』P.1より引用
他、『関西の鉄道 (No.19-近鉄特集PartⅢ)』や『鉄道史料123号 (2010年2月)』を参考にすれば、当時の近鉄社長であった佐伯勇がその設定を命じた旨も読み取る事が出来ます。社長自身が考案したのか社員から名前を募って社長名義の考案にしたのかは分かりません。
ちなみに、この「ラビットカー」という愛称は、特定の近鉄車両に対して愛称を設けた最初の事例だったようです。この次の事例は「ビスタカー」で、近鉄特急の代名詞的な愛称となっていた事を鑑みたのか、1992年9月に商標出願がなされており1995年10月から近鉄が商標権を有しています。「ラビットカー」に関しては、2020年10月時点でも商標登録されていません。
続いて「ラビットマーク」についてです。
「ラビットカー」の見た目を特徴付ける大きな要素としては、先述した色彩の他、専用シンボルマークの添付があります。2012年のリバイバル化に際しても、各車両の車体公式側1位寄りおよび同非公式側2位寄りには、かつての「ラビットカー」同様にシンボルマークが入れられました。そのデザインは、車両愛称と同じく、地面を俊敏に駆ける兎がモチーフとなっています。
シンボルマークの名前については、マークの外観がパッと見でも明らかに兎である事やこれが付けられた車両に「ラビットカー」の愛称があった事などもあってか、一般に「ラビットマーク」と呼称する事が定着しているようです。なので、今回の記事でも、このシンボルマークを「ラビットマーク」と呼称しています。
ちなみに、愛称設定に加え専用シンボルマークまで創作された事情については、詳しくは不明です。ただ、それらが実施されるに至った有力な背景として、竣工当時の6800系が日本初の高加減速性能車であった事が挙げらます。高加減速車両の代名詞として有名な阪神「ジェットカー」群の最初型式(=初代5001型)は、「ラビットカー」より1年後の登場でした。当時の近鉄が、通勤車である6800系に対してわざわざ愛称や専用マークを付したのは、同系を都市間通勤輸送の質を変えうる今までにない期待車両として見ていたからなのかもしれません。
他、「ラビットカー」の愛称が近鉄で考案されたのは上記の通りですが、「ラビットマーク」に関しては、画家によって創作が行われています。
作者については、幾つかの文献やウェブサイトで以下のように言及されています。
なおラビットカーの愛称名は当時の佐伯社長の命令に依るもので,デザインは二科会の具体派に属された吉原製油㈱社長の, 考案によるものであるのも興味深いものがある.
「ラビットカーのシンボルマークに就いて」―『関西の鉄道 (No.19-近鉄特集PartⅢ)』、1988年7月20日発行、P15より
公試車は6801+6802, ステンレス板のラビットマーク (故・岡本太郎画伯のデザイン) , アルミ合金鋳物のラビットカーの文字板も真新しく光って見える.
「近鉄ファンの独り言 (Ⅱ)」―『関西の鉄道 (No.36-近鉄特集PartⅧ)』、1998年5月20日発行、P30より
サ6150形以外には車体側面にウサギをモチーフにした 「ラビットマーク」(画家の岡本太郎がデザイン。ラビットマークは6800系の1次車から3次車までは白の塗装で、6800系の最終増備車となる4次車および6900系と6000系の全車ではステンレス無塗装のものであったが、6800系の1次車から3次車でもステンレス無塗装のものに取り換えた事例もあった)が取り付けられていたが、マルーン一色への塗装変更の際に取り外された。
「ラビットカー‐3 ラビットカー色」―フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より、2020年10月20日閲覧
・近畿日本鉄道 ラビットカー(近鉄6800系電車など)シンボルマーク「ラビットマーク」(1957年)- 日本で初めての高加減速車両のマーク[23]。当時は鉄道関連のマークに著名画家を採用する例は極めて少なかった
「岡本太郎‐4 主な作品‐4 インダストリアル・デザイン」―フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より、2020年10月20日閲覧
ラビットカーの命名は社長佐伯勇、マークは二科会会員の吉原治良による(岡本太郎説は誤り)(近鉄社内誌「ひかり」12巻4号(1957)、13巻1号(1958)。本誌123号)。
「資料の項 近畿日本鉄道南大阪線 6800型 Rabbit Car 解説冊子 について」―『鉄道史料165号 (2020年7月)』、P42より
近畿日本鉄道の社内報である「ひかり」の第12巻第4号 [1957 (昭和32) 年11月発行] には車輛部が執筆した「鋭新ラビットカー登場!!」と題した紹介記事が収録されており、その中に「車の横に画かれた兎のマークは二科の吉原画伯の書かれたもので、ラビットカーの特長をよく現したスマートなものとなっています」と明記されているほか、同じく第13号第1号 [1958 (昭和33) 年2月発行] 収録の「乗客座談会 ラビットは走る!」にも「ラビットカーの命名は佐伯社長によるもので、実に機宣を得たものとして頗る好評です」・「この図案は、二科会の具体派に属される、吉原製油株式会社々長の考案によるものであるのも面白いです」と書かれている。
…(略)…
ところで、成績が低迷していたプロ野球球団「近鉄パールズ」は、心機一転、上位進出を目指して1959 (昭和34) 年に球団名を「近鉄バファロー」に改めたが、新しい球団旗のデザインを画いたのが岡本太郎画伯であった。
吉原治良画伯が画いたラビットカーのシンボルマークが、あたかも岡本太郎画伯が画いたような前衛的なタッチのデザインであったため、世間一般ではこちらも岡本太郎画伯の作と誤って認識されてしまったと思われる。
「ラビットカー シンボルマークの作者について」―『鉄道史料123号 (2010年2月)』、P46より
以上の言及を見るに、「ラビットマーク」の作者は吉原治良画伯か岡本太郎画伯のどちらかという事が読み取れます。
マークの作者については、25~35年前に発行された幾らかの書籍にもその記載がある事やWikipediaで他の可能性が言及されない事などから察するに、長らく「岡本太郎画伯が作者である」とする認識が半ば以上一般的となっているようです。一方、一部古書籍の他、近年発行の一部書籍においては「吉原治良画伯が作者である」と言及される機会も見受けられます。どちらの画伯が作者なのかは断言しかねますが、個人的には後者推しです。
ところで、かつての「ラビットマーク」の兎ロゴには、白色のエナメル塗装で表現したものとステンレス製ないしアルミ合金製マークの取り付けで表現したものの2種類が存在したそうです。
ロゴ下にある“Rabbit Car”の英字表記に関しては、6800系登場当初からアルミ合金製文字の取り付けで表現された模様。ロゴ表現が凹凸の有無しで2種存在した一方、英字表現は凹凸有の1種のみだったようです。
結局、「ラビットカー」と呼称された6800・6900・6000の3系列に属する車両で3パターンの「ラビットマーク」(※1) が存在したようなのですが、いずれも一般車塗装のマルーン一色化に際して取り払われて消滅しています。
一方、過去3回に渡って行われた「ラビットカー塗装」のリバイバル化では、いずれもマークと文字が再現されており、6051Fや後述する養老線管理機構所有の600系606Fでは、マーク・文字共に転写式の銀色ステッカーで表現されています。
※1 かつての「ラビットマーク」については、[「ラビットカーのシンボルマークに就いて」―『関西の鉄道 (No.19-近鉄特集PartⅢ)』、1988年7月20日発行、P15]の内容が参考になります。気になる方はそちらもどうぞ。
以上、「ラビットカー」の愛称と「ラビットマーク」について、考察・余談も入れつつ手早く紹介しました。
共に近鉄側の証言・資料による情報が専らであり、特に後者については画家側の資料が見当たりません。現状、紹介した以上のさらなる詳細については分かりませんが、何にしても、1950年代において通勤電車に愛称を付ける事や鉄道車両のシンボルマークデザインに著名な画家を起用する事は珍しい事例だったようです。
〈参考1〉終
さて、「ラビットカー塗装」の復刻塗装車となった6051Fが2012年9月8日より客扱いを開始した事は上述の通りですが、同編成は「吉野飛鳥 近鉄エリアキャンペーン」が終わった後もそのままの外観で活躍を続けています。各種の貸切列車や臨時列車に対しても比較的多く充当されていました。
その後、2012年の五位堂出場から約4年が経過して再び検査・お色直し等を行う時期が近付いた6051Fは、2016年8月上旬に運用を離脱。2日夜に所属先がある古市車庫から台車振替場がある橿原神宮前へと回送されました。
翌3日からは五位堂への回送準備が行われており、その日の内に阿部野橋方2両が、さらに翌4日に吉野方2両が五位堂検修車庫へ入場しています。吉野線開業100周年記念企画で塗装変更されリバイバル塗装となった6051Fは、この時を以て一先ず2012年からの「ラビットカー塗装」復刻車としての活躍を終えました。
その後、検査・お色直し等を終えた6051Fが五位堂検修車庫を出場したのは翌月9月6日です。同日昼に吉野方2両が・同じく夜に阿部野橋方2両が出場しており、回送先の台車振替場では当日から翌日にかけて台車の履き替えと編成組みが行われています。
肝心の外板塗装に関しては、掲載画像の通り、この時の入場で赤白ツートンの現行一般車標準塗装に戻される事はありませんでした。2012年から4年間の「ラビットカー塗装」姿を復刻塗装第1期とするなら、2016年からのこちらは同第2期と言う事になります。
以下、今回の記事で両者を区別する必要が生じた際の呼び方は、前者を第1期、後者を第2期とする事にします。
2012年出場時とほぼ同様の見た目でお色直しされた6051Fは、日中試運転(=8日)を行った後、再び「ラビットカー塗装」の復刻塗装車として運用を開始(=10日[595レ]~)。観光特急「青の交響曲」の運転開始と同日の運用復帰でした。
〈参考2〉過去に行われた「ラビットカー塗装」リバイバル化の動き
この項目の冒頭でも述べた通り、近鉄保有車両に対して「ラビットカー塗装」をリバイバル化する動きは、2012・2016年の6020系に対する動きを1回として、これまでに計3回ありました。最初の1回は6800系に対して、その次は元6800系で今は養老線管理機構所有の606系に対して行われています。
マルーン単色が一般車標準塗装となった時代に登場した6020系は、「ラビットカー塗装」のリバイバル化で初めて同塗装を纏う事になりましたが、それ以前にリバイバル塗装化が行われた2車種は、リバイバル化以前にも「ラビットカー塗装」を纏う経験があった車両群です。この点を考慮すると、各回の「ラビットカー塗装」のリバイバル化を捉える際の見方には、かつての塗装を「復刻」するのと「復元」させるのとで2種類あるように思います。つまり、同じ「ラビットカー塗装」のリバイバル化でも、同塗装を纏った事がない6020系は「復刻塗装車両」、同塗装を纏った事がある6800・606系は「復元塗装車両」として捉える事が出来るように思います。
以上を踏まえて、この〈参考2〉では、かつて「ラビットカー塗装」を纏った事がある同塗装のリバイバル塗装車を「復元塗装車」と捉え、それらの車両に対して行われた過去2回の復元塗装化の動きとその時の車両外観についてざっと紹介します。
「ラビットカー塗装」の初回リバイバル(復元)が行われたのは、1987年の秋です。最初の「ラビットカー」として登場した6800系は、この時点だとまだまだ現役中の車両が多かった一方、初期の登場で老朽化が進んでいた車両については、6400系投入による置き換えが開始されていました。そんな中で、1987年は6800系が運転開始から30周年を迎える節目であった事から、これを記念するイベントが行われる事となり、この時に「ラビットカー塗装」のリバイバルが企画されました。
1987年秋に「ラビットカー塗装」が復元された車両は、1957年に6800系が登場した時に竣工したモ6850形C#6851[Mc]です。同年に製造30年を迎えた同車でしたが、同時に老朽化に伴う置き換えが検討されていた車両でもあったようで、6800系30周年記念イベントでの起用が最後の花道とされました。このイベントの目玉が復元塗装化です。イベントの案内パンフレットやイベント列車の正面に掲出されたHMには、“甦るラビットカラー”との記載があります。
C#6851の車体外板の塗り替えは、「6800系運転開始30周年記念イベント列車」の充当に合わせて実施されました。これ以前の同車に対する直近の車体塗装は、五位堂検修車庫にて1984年11月完了の検査で行われたマルーン単色の再塗装だった模様。最後の塗り替えに際してわざわざ五位堂に入ったという話は聞いた事がないので、C#6851に対する復原塗装化は、当時の南大阪線車両の車体更新工事や解体作業を担っていた古市工場で行われたのだと思います。
ちなみに、引用したTwitterにも記載されている通り、1987年当時は、塗装変更で一般車の外板がマルーン一色から赤白ツートンへ改めてられていた時期で、6800系の中にも既に赤白ツートンとなった車両が存在していました。この時のイベント列車企画は、そうした状況と6800系登場30周年の節目を上手く活用する事により、過渡期ならではの混色の見た目をさらに面白くしようと考えられて進んだのかもしれません。
イベント列車の走行機会は、10月18日(日)と11月01日(日)で2回設定されており、各日程では充当車両・連結順序(※2) ・一部のイベント内容が異なっていたようです。
復活した「ラビットカー塗装」の外観に関する詳細は不明ですが、引用したTwitterの画像などから判断する限り、色彩は2010年代の復刻と同様であるように思います。帯に関しては、太さは復活塗装時の方がほんの僅かに太め(所感)、巻き付け位置に関しては窓ふき器の設置起点に上端が合わせられている様子。巻き付け位置に関しては、(後編)で取り上げる6051Fの復刻塗装第2期が同位置を踏襲しています。
側面貼付の「ラビットマーク」については、Wikipediaの「近鉄6800系電車-改造・廃車(2020.06.23閲覧)」のページ曰く、兎はステンレス無塗装の物を取り付けた模様。1963年度以降に竣工した車両が付けていた当時物をそのまま装着したのか、この時のイベントに合わせて新調した物を取り付けたのかは不明です。引用したTwitterの記載が正しいのであれば、この時に復元された「ラビットマーク」は、[ラビットカー塗装→マルーン単色]化の塗装変更後より長らく保管されていた本物を取り付けたという事になります。また、兎ロゴ下の英字表記は突起があるものが使用されていますが、こちらに関しても、上部の兎と同様にかつて取り付けていた本物を持ってきたという事であれば、6800・6900・6000系のいずれかが装着していたアルミ合金製の文字という事になります。
ただ、『関西の鉄道(No.19)』誌に掲載の記事曰く、1963年度以前の竣工車に付けられた「ラビットマーク」はいずれも白のエナメル塗り(かつ後年に後付けした「ラビットマーク」はアルミ合金製)だったそうです。なので、厳密に考えるのであれば、1987年に復元された「ラビットマーク」は当初のC#6851が取り付けていたマーク(=[白色エナメル塗り兎+アルミ合金製英字])とは異なる仕様だったという事になります。
※2 イベント両日の充当車両と連結順序については以下の通り。各車両の見た目は、C#6851が「ラビットカー塗装」・[ ] 内の6813Fがツートン塗装(=1986.09に紅白塗装化)・それ以外がマルーン単色。
・1987.10.18: ←吉野 C#6851+[C#6813+C#6814]+C#6856 大阪阿部野橋→
・1987.11.01: ←吉野 C#6851+C#6853+[C#6813+C#6814] 大阪阿部野橋→
イベントに合わせて「ラビットカー塗装」に復元された後のC#6851[Mc] が貸切以外の通常運用に就いた事があるのかどうかは分かりませんが、車両自体は1988.02.29付で廃車となっており、イベント後まもなく運用離脱したようです。通常運用に就く機会があったとすれば、2回開催された記念イベントの中休み期間中における運用入りが最も可能性が高いように感じますが、1987年は一般車を対象とした[マルーン単色→紅白2色]化の外板塗装変更が進められていた真っ只中の時期ですし、記念イベント終了から除籍までの期間の短さも考慮するなら、廃車を前提として通常運用へ入れない事を想定した塗り替えであったと考えるのが妥当だと思います。
除籍された後のC#6851[Mc]は、解体されずに古市工場の構内入替用機械となりました。『鉄道ピクトリアル臨時増刊号 No.569 〈特集〉近畿日本鉄道』P232曰く、しばらくは「ラビットカー塗装」を纏った姿のままで、妻面寄りには同時期に廃車となった同形のC#6852[Mc]から運転関連機器を流用して入替用簡易運転台を設けたとの事です。
復元塗装化に際して取り付けられた「ラビットマーク」は、記念イベントが終了した後に外されたようで、入替車に改造される前(=妻面貫通路上の前照灯が未取付かつ同面が非貫通となる前)の段階で既に撤去されています。外された後の金属製マークが今も保管されているのかは不明ですが、気になるところです。
古市工場の入替車となった後のC#6851[Mc]の見た目に関しては、上述の『鉄道ピクトリアル』誌や引用したTwitterに掲載されている画像等を参考にすると、正規運転台側正面と両側面の車号および両面の渡り板が撤去された事や妻面寄りの両側面第一扉部に係員乗降用の手摺が各3本・それらの扉下に3段タイプの梯子が追設された事などを読み取る事が出来ます。
また、簡易運転台が設けられた妻面の方は、簡易運転台側の出入り口を側面の客用扉に限定した故か、貫通扉そのものを交換して開閉できないよう固定化した様子です。塞いだ貫通路上にはライトケースに収められた2灯式の前照灯(いわゆる“ブタ鼻”ライト)が追設されました。形状から察するに、恐らくは前任の古市工場入替車であった電気機関車から流用となった可能性が高そうです。他にも向かって右側の窓(上側左端部)に窓拭き器が増設されています。
外板塗装に関しては、先述の通り、当初は復元された「ラビットカー塗装」のままでした。その後は、他の構内入替車で共通していた塗装(=マルーン単色車体で両面に黄色帯を付した姿)へと改められています。この塗装変更が行われた時期は分かりませんが、恐らく色褪せが目立つようになった1990年代初頭に塗り替えられたのではないかと思います。
以降、古市工場の入替車として稼働していたC#6851[Mc]がその役目をいつ頃に終えたのかは不明です。あまり話題に上がって来ない辺りから察するに、最終的には上述した見た目の状態でひっそり解体(※3)されたと思われます。
※3 [「◆ 保存車・廃車体一覧2 (1993) 補遺-3. 解体または撤去が確認されたもの」―『RAIL FAN (1998.08/No.548)』]のリスト(P13)には、入替車化後のC#6851に関する情報があり、ここでは1996.07の確認時点で「古市工場入替車 (解体予定)」と記載されています。また、[「TOPIC PHOTOS/近鉄元モ6850形の古市工場入替車解体か」―『鉄道ピクトリアル(1996.12/No.630)』]では、1996-07-28付けで撮影された元C#6851の写真が掲載されている他、同車が96年夏から解体線に留置され未稼働となっている件および工場移転に伴う同年秋の解体可能性についての言及があります。元C#6851の詳細な解体時期は不明ですが、1996.07以降、96年度後半期に解体された可能性は高そうです。
「ラビットカー塗装」のリバイバル初回は1980年代後半の出来事でしたが、続く第2回目の実現は2000年代後半まで下ります。モ6850形C#6851[Mc]に続いて「ラビットカー塗装」を纏ったのは、モ6850形C#6857[Mc]およびC#6858[Mc]の2両、もとい現在は養老線管理機構の保有で606系606Fとして活躍している編成です。
2両は、南大阪線系統から近鉄時代の養老線へ移籍した際に(モ6850形C#6857[Mc]→モ606形C#606[Mc])・(モ6850形C#6858[Mc]→ク506形C#506[Tc])となっており、電装解除したC#6858を方向転換する事で固定編成化されました。
転属にあたって必要な改造は塩浜で行われたようで、一連の工事は1994.11.29付で完了。床下機器の配置変更・幌枠の撤去・車外スピーカーの設置などを終えて、活躍の場を養老線に移しています。
2両の外板塗装に関しては、南大阪線所属時代だと、共に「ラビットカー塗装」で竣工(※4)した後、1960年代後半に一般車を対象として行われたマルーン単色外装の統一化を経て、1980年代後半に進められた紅白塗装化でツートン塗装(=C#6857:1987.01変更/C#6858:1987.02変更)となっています。
その後、南大阪線から養老線へ転属してからもしばらくはツートン塗装を維持し、2000年代に入って最初のお色直しで裾帯や屋根周りのマルーン色を省略した塗り分けとなりました。一方、2005年10月に完了した検査に伴うお色直しでは再びマルーン単色の外観に変更されており、養老線が養老鉄道運営下となった後も約1年半少しは単色を維持しています。
※4 [「4⃣南大阪線系統-④高性能時代の車両-モ6800形・モ6850形」―『キャンブックス 近鉄電車』、P196]に、「ラビットカー塗装」時代のC#6857を写した記録が掲載されています。また、606Fの2両と同時期製造のC#6856に関して、[「ラビットカー」―『鉄道史資料保存会 近鉄電車80年』、P97]に竣工直後と思しき同車を写した記録が、[「モ6850 (51~58)」―『私鉄ガイドブックシリーズ4 近鉄 (1970)』、P160]に検査・お色直し等を終えてマルーン単色となった直後と思しき同車を写した記録が掲載されています。気になる方はこれらも参考にどうぞ。
養老鉄道発足後、606Fに対して「ラビットカー塗装」を復活させるとのアナウンスがあったのは、2009年8月上旬(=情報公開4日・養老鉄道公式サイトでの発表6日)です。この時の606Fは、2回目の車体更新 (→ 以下、B更新と呼称) を行うべく、同年6月上旬(=5日、別日の塩浜回送経由)に五位堂へ入場しており、この更新明けの出場以降、現在に至るまで「ラビットカー塗装」の復活塗装車となっています。
「ラビットカー塗装」復活の契機については、この時は特にこれといって記念すべき節目に合わせた様子はありませんでした。ただ、B更新や検査・お色直し等の実施時期というのは、恐らく、リバイバル化然り外板塗装の大幅な変更を行うタイミングとして適当なのでしょう。6051Fの場合は、節目に間に合う適当な車両を「ラビットカー塗装」の復刻塗装車とした様子でしたが、606Fの場合、塗り替える車両が予め定まっているので、「ラビットカー塗装」の復活企画自体もこの時期に合わせる形で進められた可能性がありそうです。
また、「ラビットカー塗装」の復活と近い時期にあった参考になる出来事として、養老線と同じく経営難を背景に近鉄から分離された伊賀鉄道が、近鉄から貸与されていた860系2編成に対して復元塗装化や復刻塗装化を施す取り組みを行っていた事が挙げられます。車両そのものも客寄せ要素に仕立て上げるという観点からみれば、こうした動きに触発されてかねてからのマルーン単色化の流れに加える形でリバイバル化を行った節は考えられそうです。
五位堂検修車庫でのB更新工事を終えた606Fは、2009年8月中旬(=18日)に同所を出場し、続いて塩浜へ入場しました。
一連の入出場に際しては、モト90形に標準軌線上での走行をアシストされており、606Fは、(五位堂-塩浜) をC#97[McF]とC#98[McF]に挟まれる形で、(塩浜-桑名-東方操車場) をC#94[McF]とC#96[McF]に挟まれる形で移動しています。
なお、五位堂出場時点における606Fの外板は、2両ともオレンジバーミリオン一色の状態でした。白帯や「ラビットマーク」の取り付けは、塩浜入場後に同所で行われています。マークのロゴや英文字については、先述の通り、銀色の転写式ステッカーで表現されており、これは現在も同じ状態です。
登場時に近い姿へ戻された606Fは、9月上旬(=3日)に塩浜を出場。東方操車場へ到着後、午前の内に台車を振り替え、午後には日中試運転を行っています。客扱い開始は9月中旬からで、初運用は「ラビットカー塗装」復活イベントの一環として13日(日)にツアー形式で開催された「試乗会」の団体貸切列車でした。記念入場券や関連グッズ5種もこの日から販売開始となっており、翌14日(月)からは一般列車への充当も始まっています。
以降、現在に至るまで、養老線管理機構606Fの「ラビットカー塗装」は継続中です。606Fの種車となったモ6850形2両は、1963.05.30付竣工の6800系最終増備車群に含まれる車両なので、2022年5月には竣工から59年目を迎えるわけですが、2019年度完了の東急7700系転入によって置き換えられる事なく現役を続行しています。
養老線を走る元近鉄車両の塩浜入出場は、廃車等のイレギュラーを除いて約4年周期で行われており、606Fも例外ではありません。2009年度に完了したB更新以後は、現在までに3回(※5)、検査・お色直し等を実施する目的で塩浜へ入場しており、これまでの出場でATS-SPの設置やパンタグラフの[下枠交差形→シングルアーム形]化などの変化がありました。
また、並行して車両の所属も変化しており、まず2014.04.01付で近鉄が養老鉄道へ車両を貸与する方式を終了した事により、606Fを構成する2車両は近鉄から形式消滅。その後、一旦は養老鉄道の保有車となっていますが、2018.01.01付で一般社団法人養老線管理機構の管理下に置かれる事となり、現在はこの法人が養老鉄道へ車両を貸与するスタイルで編成が運用されています。
※5-2009年度以降における606Fの塩浜入出場時期については以下の通り
・2013.07.01:塩浜入場(検査・お色直し等目的)
・2013.09.05:塩浜出場(検査・お色直し等完了の他、ATS-SP装備)
・2017.08.14:塩浜入場(検査・お色直し等目的)
・2017.10.23:塩浜出場(検査・お色直し等完了の他、パンタグラフ交換)
・2021.12.13:塩浜入場(検査・お色直し等目的)
・2022.03.22:塩浜出場(検査・お色直し等完了)
ちなみに、606Fの「ラビットカー塗装」自体は現在まで継続中ですが、塗装作業完了後に行われる白帯の巻き付け位置や「ラビットカーマーク」の貼付位置に関しては、これまでに複数のバリエーションが見られました。
具体的には、2009年度の塩浜出場時の見た目を第1期外観として過去4回の塩浜出場時の見た目を第[1-4]期外観と分類した時(※6)、白帯は[2013-2017]年度で見られた第2期外観が他と比較して低めの位置で巻かれています。「ラビットマーク」に関しては、第4期外観の出現当初、2両に対する貼付位置が両側面で正面寄りとされました。塩浜から出場した後もそのままの状態で運用復帰していますが、こちらは2022年04月06日実施の貸切運行前に必要分を従来と同じ位置に移したようで、短期間のみ見られた外装形態でした。
※6-「ラビットカー塗装」を纏った後の606Fの外観については、以下の【資料】記事も参考にどうぞ
6800系モ6850形として1963年度に竣工した当時の車体色が復元されてから早くも12年少しが経過した606Fの2両ですが、2021年度後半期に実施された検査も「ラビットカー塗装」で通っており、このまま登場時と同様の外板塗装で還暦を迎える事になりそうです。元を含めた近鉄車両で60年稼働する車体は決して多くなく、しばらくは外板のカラーリングと相まって長く大事に使われてきた車両の象徴となるように思います。
「ラビットカー」の生き残りとして、来年度には竣工60年を記念するイベントが行われる事も予想されますが、一方で置き換えも十分にあり得る車両でもあります。同編成は、車内外各所に初期の近鉄高性能一般車で特有の面影を残しており、それらを通常運用の範囲で気軽に見る事が出来るという点では今や貴重な車両です。これからの活躍にも期待したいところですが、気になるのであれば、見れる時に見に行っておくべき車両の1つだと思います。
〈参考2〉 終
【特集】第4記事目-「ラビットカー塗装」(前編)の内容は以上
【特集】近鉄のリバイバル塗装車 -「ラビットカー塗装」(前編・後編)
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