こんばんは
今回の〔雑記〕は表題の通りです。
特急車12200系が定期特急運用から引退して早くも半年が経ちましたが、そこから現在までには、同系に関連した様々な動きがありました。但し、コロナ禍での緊急事態宣言発出に伴って幾らかのイベントは中止状態となっており、ラストランの延期も決定済なので、汎用特急車としての12200系に関する話題はもう少し続く事になりそうな雰囲気です。
この〔雑記〕を書いている現時点では、多数の地域に緊急事態宣言およびまん延防止等重点措置が発出・延長されているので、少なくとも8月中と9月中旬までは新たなイベントの催行も見込めない事が予想されますが、上記2措置が執られる直前の7月には、12200系を起用した臨時列車・貸切列車の運行や撮影会の実施がありました。臨時列車に関しては、2021年4月に阪伊・名伊間で設定された臨時特急の好評に応える形で追加設定されたものです(列車案内のPDFはこちら)。
有効な乗車券に指定の特急券を組み合わせれば誰でも乗車可能である点や事前に各停車駅の発車時刻が明らかにされた点は前回と同様でしたが、一方で、7月運行分は名伊間の運用が中心で4両編成2本を繋いだ8両編成での運行も予定されました。4月運行分の撮影・乗車が満足に出来なかった人や8連での運行に関心があった人にとっては、7月の臨時列車運行は、注目できる出来事だったのではないかと思います。
今回の〔雑記〕では、定期特急引退後の12200系を起用して2021年7月下旬に運転された臨時特急の撮影記的な内容を、この運行時に見られた8両運転の事を中心に適当に書いてみようと思います。前回4月運行分に関しても気になる人は以前の〔雑記〕を参照ください。
■ 第9〔雑記〕
撮影記的な内容へ入る前に、まずは7月に運行された臨時特急の概要についてざっと紹介しようと思います。
臨時特急の運行は、上記で引用したツイート内容にある通り、7月22日(木・祝)から25日(日)の4連休で設定されました。25日の運行は[近鉄名古屋→大阪上本町]間の片道運転で、8両運転が行われる予定とされたのは、25日および22~24日の[賢島→近鉄名古屋]間です。今回の臨時に起用された12200系は、4月運行分と同じ12239Fと12251Fの2本で、運行前は、富吉検車区富吉車庫および同検車区米野車庫を拠点として運用されました。運行開始前日の21日(水)時点では、12239Fが滞在先を明星車庫から米野車庫に移して・12251Fが数日前から富吉車庫に滞在して臨時特急としての営業に備えています。
臨時特急運行初日の22日は、近鉄名古屋先発の3815レに12251F・同後発の3915レに12239Fが起用されました。賢島発の4414レは2編成を繋げた8両での運転でしたが、この8両化は、先に賢島駅4番線に着いた12251Fが12239Fの到着を待った後、同番線で連結作業を行うという形で実施。22日には、賢島駅ホーム終端側で待機中の12251Fと志摩線開業90周年記念で復刻塗装化された1440系1438Fが並んでいます。名伊間運行設定日における2編成の臨時特急充当前後の流れに関しては、3日間で共通していました。
〈参考1〉臨時特急運行時(2021.07)における12200系12239F&12251Fの動き
■7月22日(木・祝)-24日(土)
・12239F
※21日(水)の回送(明星→東青山[折]→中川短絡線→米野)で明星車庫から米野車庫へ移動
①回送(米野出庫)→②3915レ充当(近鉄名古屋5番09:36発→賢島4番11:51着)→③12251Fと連結(賢島4番)→④回送(賢島4番→鳥羽6番[折]→賢島1番)→⑤4414レ充当(賢島1番14:08発→近鉄名古屋4番16:32着)→⑥回送(富吉入庫)→⑦12251Fと解結(富吉車庫)→⑧回送(富吉車庫→米野車庫)
・12251F
※17日(土)の回送(白塚→青山町[入出庫]→白塚[入出庫]→富吉)で白塚車庫から富吉車庫へ移動
①回送(富吉出庫)→②3815レ充当(近鉄名古屋5番08:37発→賢島4番10:51着/到着後待機)→③12239Fと連結(賢島4番)→④回送(賢島4番→鳥羽6番[折]→賢島1番)→⑤4414レ充当(賢島1番14:08発→近鉄名古屋4番16:32着)→⑥回送(富吉入庫)→⑦12239Fと解結(富吉車庫)
■7月25日(日)
・12239F
①12251Fと連結(米野車庫)→②米野出庫→③0357レ充当(近鉄名古屋4番07:19発→大阪上本町8番09:48着)→④12251Fと解結(大阪上本町8番)→⑤回送(高安入庫)
・12251F
①回送(富吉車庫→米野車庫)→②12239Fと連結(米野車庫)→③回送(米野出庫)→④0357レ充当(近鉄名古屋4番07:19発→大阪上本町8番09:48着)→⑤12239Fと解結(大阪上本町8番)→⑥回送(富吉入庫)
■8両運転時の編成(22日-25日)
←近鉄名古屋 12239F(C#12139[Tc]-…)+12251F(…-C#12251[Mc]) 賢島・大阪上本町→
また、前回4月運行分と同様、今回の臨時列車に対しても特急引退を記念して作成されたHMが掲出されました。HMを付ける等の事前告知はなかったので、今回も当日オープンの計らいという事なのだと思いますが、HMの材質に関しては、前回から変更されています。具体的には、4月の臨時特急運行時には、走行時に車外へ掲出しても風圧等に耐えうる金属板が使用されていましたが、今回は駅構内での分割併合を含む都合上か、車内からの限定掲出に対応するフィルムが活用されていました。このHMは、22日~25日に運行された臨時特急の前方および後方に掲出(=位置は車掌台側が基本)されています。
さて、以上が7月に運行された臨時特急の概要ですが、私自身は都合で23日から記録する事に。4月運行時の記録初日は、当日朝にHM付と知ってスクランブルする形での撮影スタートとなってしまったのですが、今回は1日空けて情報を整理する時間があったので、事前にどう撮っていくか考える余裕をもって各地へ撮りに回る事が出来ました。前回は、伊勢方面まで行く気力も起こらなかったのですが、今回は8両運転に惹かれる形で遠出しています。
最初の記録日となった23日は、京都から行動を開始。前日までは関東圏で色々と行動しており、東京では晴海に集結した海上保安庁の船や先日より運行開始した半蔵門線の新車18000系を記録した他、隈研吾展と併せて高輪ゲートウェイ駅に行ったり東京スカイツリーの展望デッキへ登ったりもしました。国立競技場周辺には、全国から召集されたと思しき警察官やその関係車両が来ており、人出とは裏腹に各所でオリンピック開催前の雰囲気をひしひしと感じさせられましたが、開催前夜には夜行バスで関西へ。京都で下車してから一旦自宅へ戻った後、12200系の記録を目的とした行動を開始しました。
23日に最初に向かったのは鳥羽です。先述した通り、名伊間運用日の12239Fと12251Fは、近鉄名古屋からの各列車に充当された後に賢島で連結して8両編成とされていますが、時間の都合上、そのまま折り返し列車に入る事はせず一旦鳥羽まで回送されてきます。前日にTwitterを見ていると鳥羽では30分程停車する様子だったので、まずはここで8両編成の連結面を記録する事にしました。
ちなみに、今回の私は、4月の臨時特急運行時と違って伊勢志摩方面まで記録しに赴きましたが、そう思うに至らせた最大の魅力は、一連の運行過程に12251Fを含む12200系同士の連結面を記録出来る機会が含まれた事でした。
以前の〔雑記〕でも触れている通り、12251Fは2019年12月より従前とは若干異なる色調へ変更されて営業に就くようになったのですが、その一方で、12200系同士の連結を含む定期特急列車は2019年度末以降だと実現しなくなったため、色調変更後の12251Fが定期運用持ち時代に他の12200系と連結した「混色」で営業に就いた期間は僅かとなりました。この混色編成は、今回の臨時特急を除けば過去に計5回実現しており、12251Fの使用線区が名古屋線系統とされていた関係上、一連の運用は大半が名伊間となっています。
私は、定期運用があった時には一度も混色編成を撮る事が出来ず、1回ぐらい記録しておきたかったという気持ちがあったので、今回の臨時特急でそれが実現するのであれば遠出してでも撮りに行こうと思うようになり、この時の撮影行に至りました。個人的には、色調の異なる車両同士の連結面の記録が一連の臨時特急撮影におけるハイライトであったため、この時に色合いを中心としてじっくり実車の観察・記録が出来た事には満足しています。
〈参考2〉12200系12251F(色調変更後)と同系他編成の連結運用歴
※色調が変更された12251Fは2019年12月3日(火)に検査・お色直し等を終えて五位堂出場(富吉回送)
①2019年12月8日(日)-14日(土)…[名伊・名阪]間運用
・編成:←大阪難波/賢島 12249F+12251F 近鉄名古屋→
※8814レ(松阪→近鉄名古屋)より連結運用開始、連結場所は明星車庫
※0110レ(大阪難波→近鉄名古屋)にて連結運用終了、解結場所は富吉車庫
②2020年01月10日(金)-11日(土)…[名伊]間運用
・編成:←賢島 12247F+12251F 近鉄名古屋→
※2015レ(近鉄名古屋→鳥羽)より連結運用開始、連結場所は富吉車庫
※1712レ(鳥羽→近鉄名古屋)にて連結運用終了、解結場所は富吉車庫
③2020年01月19日(日)-20日(月)…[名伊・名阪]間運用
・編成:←大阪難波/賢島 12251F+12249F 近鉄名古屋→
※6914レ(賢島[8-5号車]→近鉄名古屋)より連結運用開始、連結場所は賢島駅構内
※0111レ(大阪難波→近鉄名古屋)にて連結運用終了、解結場所は富吉車庫
④2020年01月23日(木)?-24日(金)…[名伊]間運用
・編成:←賢島 12255F+12251F 近鉄名古屋→
※23日(木)6613レ(近鉄名古屋→賢島)の充当確認
→23日6613レor22日7815レ(近鉄名古屋→鳥羽)より連結運用開始/連結場所は富吉or米野車庫
※6714レ(賢島→近鉄名古屋)にて連結運用終了、解結場所は富吉車庫
⑤2020年02月15日(土)…[阪伊]間運用
・編成:←大阪難波 12251F+12236F 賢島→
※7004レ(鳥羽[8-5号車]→大阪難波)より連結運用開始、連結場所は鳥羽駅構内
※上記7004レにて連結運用終了、解結場所は高安車庫
→12251Fは12~19日まで大阪側で運用
⑥2021年07月22日(木・祝)-25日(日)…[名伊・名阪]間運用(臨時特急)
・編成:←大阪難波/賢島 12251F+12239F 近鉄名古屋→
※4414レ(賢島[8-5号車]→近鉄名古屋)より連結運用開始、連結場所は賢島駅構内
※0357レ(近鉄名古屋→大阪上本町)にて連結運用終了、解結場所は大阪上本町駅構内
→12200系同士の連結運用は2020年3月13日の116レ(大阪難波→近鉄名古屋)を最後に通常特急では実現無
→12239F・12251Fは2021年2月12日を以て定期特急運用から撤退
鳥羽駅6番線に入線した[12239F+12251F]の8連は、到着から30分ほど停車した後に賢島まで折り返し発車していきます。この12200系が出た直後の鳥羽駅6番線には、賢島から一時的に引き上げて来た名古屋発着「しまかぜ」の回送列車が連続して入線する流れとなっていたようで、22日から24日の[鳥羽-中之郷]間では、4414レ充当前の12200系(回送)と7011レ充当後の50000系(回送)が連日離合していました。
Twitterの各投稿に掲載されていた22日の様子から、上手くタイミングが合えば鳥羽を出て少しの所で走行している両列車の並びが見られると分かったので、鳥羽到着後の私は、 20分ほど連結面周り見てから構外へ。せっかくなので、撮れるかもしれない並びを記録してみる事にしました。
が、 20数分の滞在は少し長かったようで、カメラの準備や撮る位置を確定させる事も考慮すれば、正面側から並びを撮る事が出来る鳥羽城址周りへの到達は走っても(笑)厳しそうな状況に。なので、この時は鳥羽城址周りまでは行かず、手前の岩崎大橋付近から記録する事にしました。横側から撮影する形とはなりましたが、結果的には、フレーム内に収まりが良い感じの位置での離合光景を撮れたように思います。風景と絡めて12200系の「混色」部分と「しまかぜ」の先頭車を一緒に記録する事が出来て満足でした。
離合を撮った後は、再び鳥羽へ。ここで軽食を済ませて一服した後、続いて賢島からの臨時特急4414レを記録すべく、隣駅の池の浦に向かいました。
池の浦は、カーブしている中にホームが設けられており、上り列車ならアウトカーブから撮影する事が可能な駅(対向式2面2線構造)です。今回の臨時特急(復路)が走った時期・時間帯は、上り列車の正面・側面が共に順光状態となる事から、ここで記録する事を考えた人の数は、当日の様子だけで判断してもかなり多かったのではないかと思います。
私が到着した時点だと、列車編成への構造物の写りこみ少なく8両を記録する事が可能な鳥羽方ホーム先端部は既に人人人で、空間的に見ても明らかにキャパオーバーの状態でした。対照的に、ホーム中程や宇治山田方ホーム先端部はカメラ持ちが居なかったので、私はホーム中程で記録する事に。この時は、混色と分かる走行姿を記録出来た事はもちろんですが、「名古屋行き」表示でHMが付いている順光正面を大きく写せたので満足でした。
4414レを記録した後は、追加で他の列車を撮る事もなく真っ直ぐ帰宅。そのまま翌24日の臨時特急撮影に備えました。
24日の撮影は名古屋線からスタート。この日はまず、3815レに充当される12251Fの富吉出庫姿を見に行く事にしました。
私が富吉に到着した時点では、12251Fは既に近鉄名古屋への回送に備える形で名古屋方ホーム先端近くに姿を見せていました。この時は、富吉から出庫して本線へ入る他の特急列車を待避していたようです。しばらくすると、富吉仕立ての普通列車が停車中の4番線に隣接する線へ12251Fがゆっくりと入って来ました。
朝の富吉は、近鉄名古屋午前発となる特急列車の出庫や上り線の朝ラッシュ運用を終えた一般車の入庫で賑やかになります。12251Fがホーム横の線に入ってから名古屋へ向けて出発するまでは約7分ありましたが、その間、「ひのとり」の出庫準備や5両準急の入庫などが見られました。12251F発車時に4番線で停車していたのは、10100系「新ビスタカー」から一部機器を流用して製作された2000系2102Fで、「ひのとり」出庫準備時の4番線横は中々に賑やかな雰囲気があったように感じます。
12251Fの富吉出庫を見送った後は、続いて12239Fと12251Fの連結シーンを記録すべく、賢島へ向かいました。行程としては、まず下り普通に乗り、そこから近鉄弥富で名伊急行に乗り換えて南下。山田線を走破し終える辺りで3815レに追いつかれそうだったので、宇治山田で急行を下車して12251Fに乗る事としました。五十鈴川から先は、特別料金不要列車が一気に少なくなる「特急街道」ですが、現在だと伊勢市から先の乗車ならチケットレスで割引が利くので、個人的には、特急乗車の敷居は若干下がったように思います。
当日の宇治山田からの12251Fは、コロナ禍という事もあってか満席という状況ではなく、号車によっては乗車数十分前でも隣り合う席に他人が座らない状態となる座席確保が可能でした。とはいえ、21000系以前に登場した車両は、同じ特急料金で乗車可能な現行他系列と比較した時にサービス面で見劣りが否めませんし、この時点で好んで12200系に乗るとすれば、「お名残乗車」を目的とする形で車両を選んだ人が大半だったのではないかと思います。実際、延期となってしまったラストランイベントの臨時列車は、チケットのキャンセル待ち人数が計800人以上だったそうで、最後の人気ぶりには驚かされました。
賢島駅4番線に到着した12251Fは、まず正面・側面の幕を「回送」へと変更。車内の乗客を降ろしてホーム側のドアを閉めた後は、3915レ充当の12239Fがやって来るまで待機となります。12239Fが到着した後は、そのまま連結作業を行うという事で、この日は賢島到着後まもなくC#12351の観音扉が開けられ、そのまま約1時間留置されていました。
連結作業後の12251Fは、4414レ充当時に賢島方4両を務める事になるので、往路と復路とでは号車番号が異なります。なので、編成全体では、3815レの客扱いを終えてから間もなく各車両の号車札を変更する作業が行われていました。
札は、1号車表記の裏は5号車・4号車表記の裏は8号車となっており、作業の具体的な内容は、3815レ充当時に差し込まれていた号車札の表裏を変えるというものです。4番ホームに面した公式側の札はホーム上で、ホームに面していない非公式側の札は12251F各車の扉を一時的に開けた(公式側は閉扉)上で変更作業が行われています。
正面・後面に掲出していたHMに関しては、C#12251側がそのまま・C#12351側が観音扉開扉後に撤去されました。基本デザインは、4月の臨時特急運行時に初出したHMと変化無しですが、前回と比べて中身が増やされており、その見た目は多色の文字やイラストで賑やかといった印象です。中央に描かれた車両正面イラストの行先は「名古屋」となっていました。HMの素材や掲出方法に関しては、先述した通り、紙製の円形印刷物を保護するラミネートフィルムを車内設置の吸盤器具で挟んで掲出するという形が採られています。
ちなみに、C#12251側に掲出されていたHM裏面を見てみると、下の方に編成記号を記した透明のシールが貼られていました。12239Fの先頭車に掲出されていたHMの裏面は未確認ですが、HM表側のデザインは両編成掲出の4枚で特に差異は無かったと思うので、識別用シールを別途に貼った意図としては、増解結前後でHMを撤去・再設置する際の見分けを促すといった辺りなのかなと個人的には思います。見分けの必要が意識された背景までは分かりません。
乗務員室のHMが撤去され観音扉が開けられたまま留置となったC#12351の周りは、12239Fとの連結シーンを記録しようと考えている人が到着後まもなくから一定数おり、改札外で行われていたグッズ販売と同様に人だかりが絶えない様子でした。
私の方は、改札内外を行き来しつつ、3915レ到着前にはC#12351近くへ移動。12239Fがやって来るまでの間は、観音扉を開いたC#12351の正面が撮り放題だったので、この時に扉開放時の色々な部位を記録する事が出来ました。観音扉下側の部位に関しては、2020年9月発生の人身事故(6714レ充当中/川原町)で被害を受けた際に五位堂で修理されて以降、一枚が若干異なる色となっており、ここをじっくり観察出来た事も良かったです。
ちなみに、先日にRP誌から臨時増刊号として近鉄特急特集(No.990)が刊行されましたが、ここで近鉄側から現行12251Fの色調について語られる事はありませんでした。現時点では、12251Fの塗装を説明する公式な案内は無いままとなっています。但し、公式に近い立場からの言及は複数存在しており、本であれば『大手私鉄サイドビュー図鑑03 近鉄特急』に収録されているインタビュー記事内、ネットサイトであれば近鉄車両エンジニアリング株式会社の近鉄電車グッズサイト内(=近鉄グッズマート by KRE-「車番プレートメタルキーホルダー 12200系 12251号車」販売ページ内)が該当。後者のサイトに関しては、商品ページ内に「復刻塗装」の文言と併せて「近畿日本鉄道(株)商品化許諾済」の記載があり、この時期に12251の車両番号が商品化対象に選択されてこれが許諾を受けている事を考慮すれば、現行12251Fが纏う車体色が「12200系登場時(塗装)の復刻塗装」化で再現した色合いである事自体は、当該商品が発売となった6月10日時点で近鉄側も明確に認識している節があるように感じます。
賢島に3915レが到着する時刻が目前となると、観音扉の間に収まる貫通扉が乗務員によって開扉され、連結に向けた準備が始まりました。この時点における3・4番線ホームの鳥羽方は、連結シーンの記録を狙う人々と3915レの賢島入線シーンの撮影を考える人々の2群が出来ていましたが、人数はまず前者の方が多かったと記憶しています。準備開始後まもなくして、3915レ賢島到着時刻になると駅先端の奥側から12239Fが姿を現しました。賢島4番線への入線時刻は1分遅れで午前11時52分です。
12239Fは、賢島入線直前から正面・側面の幕回しを始めており、4番線に入って12251Fの手前まで来た時の幕は、既に回送表示となっていました。号車札に関しては、3915レ時点で1-4号車案内となっており、これは4414レでも変わらずです。ゆっくりとC#12351の前まで来た12239Fは、乗務員が掲げる赤旗の手前で停止。そのまま連結するかと思いきや、先に3915レの乗客を降ろす流れだったようで、停車後はまず客用扉が開きました。
扉が開いた12239F各車からは、賢島までの乗客が降車し、一部(大半?)が連結シーンの記録者群へ合流。連結面周りに集まった人数は、体感だと12239Fが到着する前の2~3倍になったように思います。3915レの乗客降車完了が確認されると、12239F各車の扉が閉じられて車内外で連結準備が開始されました。
それから間もなくして連結作業が始まった時の様子は↑の通りで、手前以外の(私含めた)大多数がカメラを上に持ち上げて撮影する状態に。この時の記録を後から見返してみたら、いずれも「お手伸ばし大会」のような構図となっていました(笑)。似たような状況は、最近の近鉄だとラストラン前の「鮮魚列車」や通常営業1番列車の「ひのとり」でも経験しましたが、どれも傍目から見ればふと笑ってしまうような集団行動が反映された結果だと思えます。とはいえ、非日常の雰囲気が後から見ても分かるような記録は出来たと思うので、この時の「お手伸ばし」に参加(?)した事自体は満足でした。
連結作業は12239Fが動き始めてから約4分で完了。2編成が繋がった後の連結面周りは、人出が一気に減り、多くは改札方面へと移動していきました。私の方は、発車までの間、もうしばらく留まって12239Fと12251Fの車体色を中心に色々と記録。回送列車の出発時刻は、3915レの賢島到着から約15分経った頃でした。
鳥羽に向けた回送列車の発車を見送った後は、改札を出て昼食を確保。ここからは、一先ず鳥羽からの4414レ送り込み回送を記録すべく、鳥羽まで向かう事にしました。乗車したのは、先の回送列車発車時点で3番線に停まっていた「伊勢志摩ライナー」です。
特急に乗って鳥羽に到着すると、12200系の回送列車が6番線に停車中でした。23日は、この停車中姿を中心に記録したので、この日は賢島まで向かう走行姿の撮影をメインとする事に。前日よりも早く鳥羽を出たので、この日は中之郷付近まで歩いていく事が出来ました。
とりあえず、この日は「しまかぜ」との離合シーンは狙わず、志摩線走行中の8連を風景と絡めて記録する事に。最終的には鳥羽水族館の建物と混色連結面を絡めて撮る事を優先とし、それに併せて手早く場所と構図を決めました。到着から3分ほど経った頃には、賢島方から7011レ充当後の「しまかぜ」回送が現れて目の前を通過。そのまま鳥羽パールタウンの建物奥まで進行して姿を消した直後、入れ替わりで12200系の回送が姿を現しました。
鳥羽を出た直後の志摩線は、急カーブが連続しているので、中之郷まで向かう列車の速度はゆっくりです。なので、鳥羽パールタウンの建屋奥側から前頭部を出したC#12251を撮った後は、混色連結面・編成全体および鳥羽水族館との絡みを連続して記録していく事が出来ました。鳥羽水族館の建物と絡めた記録は、今〔雑記〕冒頭に掲出したものです。
志摩線を走る特急車両には、「しまかぜ」や「伊勢志摩ライナー」を中心とした多彩な顔触れが揃っていますが、現状、6両以上の編成となると汎用特急車を複数連結した場合に限られます。12200系は、そんな同特急車の一員として、過去何度も志摩線内で8両運転を行った実績のある系列です。ただ、ここ数年は、鳥羽での増解結絡みで8両入線が行われる機会が減っていたようで、今回は久々の8両営業となった模様。運用にはあまり興味がありませんが、最後に志摩線内8両絡みで記録を考える人も一定数いたのではないかと思います。
鳥羽水族館内から飛んでくるオットセイの声を聞きながら4414レ送り込み回送を見送った後は、鳥羽へ戻って上り普通列車に乗車。続いて4414レ充当姿を記録すべく、名伊急行乗り継ぎで名古屋線へ向かいました。
名古屋線でまず向かったのは米野です。前日までのTwitterを見ていると、名古屋到着前の4414レが米野車庫横を通過する際に左方で名阪特急車2種と並ぶ状況がアップロード写真から読み取れたので、私もこれを記録する事に。米野駅到着時には、既に21000系や80000系が車庫側の線に居た他、米野横で展開するJR東海側の車庫には、来年度からの増備が決定している新型特急車HC85系の量産先行編成が留置されていました。
4414レ到着前後の米野では、近鉄名古屋からの下り列車を正面・側面共に順光で記録できるという事あってか、私が到着した時点で既に臨時特急充当後の回送列車の撮影狙いと思われるカメラ持ちが集結。名古屋寄りのホーム端から中程にかけては人群が出来ていました。
現地に到着してから30分程すると賢島からの4414レが終点を目前として米野を通過。上り本線左横の米野車庫では、21000系と80000系が留置されている他、↑では見えていませんが、22000系も米野駅から入庫中です。さらに、奥側ではタイミング良く東海道新幹線も通過しており、引退記念HM付の営業列車と一緒に撮っておきたかった並びを想定以上の形で記録する事が出来て満足でした。
米野を通過した4414レを撮った後は、最後に富吉入庫姿を記録すべく富吉へ。4414レ通過後すぐに米野を出る下り普通に乗って最速で向かったものの、富吉駅に到着した直後に名古屋から折り返してきた回送列車に追いつかれてしまいました。
富吉のホーム有効長は5両ないし6両なので、2番線へ入線してきた8両編成の回送列車は、先頭がホームをはみ出す形で停車。そして入線から1分も経たない内に引き上げ線へと出発していきました。ここでは、まず12239Fと12251Fの連結面含めた各車屋根上を記録。後者は、色調変更後に名古屋方から撮った記憶が無かったので、最後に視れて良かったです。
屋根上を撮った後は、富吉車庫へ入る姿の記録へ。ちょうど「ひのとり」の出庫と入れ替わる形での入庫だったようで、8両全体が点検台のある線へ入りきったあたりで留置中の22000系と併せた3系列の横並びが見られました。この後の12200系は、同所で2編成の解結作業が行われ、12239Fは夜に米野車庫へと回送・12251Fは富吉車庫で待機という流れに。入庫後は、それぞれが翌日の名阪間運用に備えています。
私の方は、入庫姿を見た後はそのまま帰路へ。帰宅後、撮った写真の整理をしながら翌25日の臨時特急0357レの撮影に備えました。
一連の撮影行では週末フリーパスを使用していたので、25日の名阪間0357レ充当前後における12200系の撮影は、時間さえ余裕があればどの場所で記録しても大丈夫だったのですが、当日はしっかりと爆睡(笑)。継続して鳴っていたらしい何回目かの目覚ましで起床した時、0357レは既に大阪線内を西進中でした。
そういうわけで、当日は12200系の記録は手軽く済ませ、その後は適当に西信貴ケーブルの撮影へ赴く事に。後者の記録の様子に関しては、前回の〔雑記〕で適当に書いているので、興味あればそちらの記事も併せてどうぞ。
25日における奈良・大阪の天気は概ね晴れで、上り列車の場合、ほとんどの場所で正面は逆光となります。当日の私は、記録場所を吟味できる程の時間の余裕は無かったため、結局、行き慣れた区間での撮影に落ち着きました。前回と違って今回の引退記念HMは室内からの掲出なので、逆光状態だとHM表面が見えにくくなってしまう点が残念に感じるものの、前日の幕回し時に幾らかの表示幕とHMの組み合わせは記録出来ていたので、この時は一先ずHM付きの走行姿を撮る事が出来て満足でした。
0357レを記録した後は、一連の臨時特急撮影を終了。一旦帰宅して涼んだ後は、第2期の車体補修が始まる前の西信貴ケーブルを記録すべく再度外出しました。0357レに充当された2編成は、大阪上本町到着後に解結となり、そこからは発車時間をずらしてそれぞれ別々の車庫へと出発。先発の12239Fは大阪側の高安車庫・後発の12251Fは名古屋側の富吉車庫へと回送されました。
臨時特急運行以降における近鉄主催のイベントに関しては、7月31日に予定されていた青山町での車両撮影会が無事催行・8月7日に予定されていたラストランが緊急事態宣言発出の影響で延期となっています。今後については、まだ不透明な部分が多いですが、2021年引退という点に変化がないのであれば、汎用特急車としての12200系の終焉が近い事は変わらなさそうです。2019年末から始まった12200系関連の目立った動きに関しては、ラストランが終了してから【特集】あたりを使ってまとめて取り上げてみようかなと思います。
4月の臨時特急運行時には、これを最後に通常時の特急列車と変わらない方法で12200系に乗車できる機会はなくなるのだろうと思っていたのですが、3度目の緊急事態宣言が明けてから再び設定となりました。案内には「ご好評につき、第2弾を実施いたします」とあり、車両・系列の外形・歴史や60年来続いた特急塗装といった要素で人気を集めているのだろうなと思えます。今回は、記念HMの掲出に加えて、久しぶりとなる12200系同士連結の8両運転も盛り込まれ、個人的には色々なシーンを記録し回る事が出来て満足でした。
他、臨時特急第2弾が運行された7月には、12200系を起用したリアルイベントとして貸切列車の運行や撮影会の開催がありました。また、今年に入ってからは、12200系関連のグッズ販売も商品の種類を着々と増やす形で展開されており、12200系の定期運用を失くした後の近鉄側の姿勢には、2021年夏と決めた終幕に向けて12200系の注目・振り返り機会(とファン層)を積極的に増やす方向で取り組みを進める様子があったように感じます。
「鮮魚列車」の時とは対照的ですが、こうした姿勢下で最終イベントの気運を高めた状態での引退劇が考えられていたのであれば、4度目の緊急事態宣言発出に伴うラストランの延期決定は、まあ妥当な流れでの判断なのかなと思う一方、最終的に汎用特急車としての引退日がいつになるのかは気になるところですね。現状、対象地域に大阪府を含む4度目の緊急事態宣言は9月12日(日)まで発効とされているので、しばらくは関連する発表も無いものと思われますが、気長に続報を待ちたいと思います。
今回の〔雑記〕は以上です。
【関連コンテンツ】Random Pick Up
■リンク集
「ピロのブログVer3」の簡易リンク集です。当サイトへのアクセス率向上に繋がる、鉄道まとめサイト・ランキングサイトのものをピックアップしています。クリックしていただけると嬉しいです。(全て新規タブでひらきます)
朝日インタラクティブが運営する鉄道情報インターネットサイト。鉄道会社から個人まで、カテゴリ別に様々な情報発信をまとめてくれています。
ブログランキングサイト「にほんブログ村」の近鉄線カテゴリーに繋がるリンクです。近鉄を扱う多くの個人サイト・ブログが集まっています。
人気ブログのランキング把握やサイト検索・記事検索が出来るブログ総合サイトです。鉄道旅行を扱う多くの個人サイトが集まっています。
このページの内容は以上です。