■記事概要
近鉄橿原線は、1923年3月21日(水)に[平端-橿原神宮前]間が開通し、現行全区間である[大和西大寺-橿原神宮前]間での運輸営業が開始されました。
2023年は、橿原線の全線開通から100周年の節目となる事から、近鉄では、これを記念した各種のイベントが企画・発表されています。周年日を前に出された最初のプレスリリースでは、「橿原線全線開通100周年記念イベント」と題された複数の催事および物販の内容が公表されました。
催事は、3月下旬から4月上旬にかけて実施する日程とされ、記念式典・記念ヘッドマーク掲出・記念ツアー・記念グッズ販売が主な内容として挙げられています。この中の記念ツアーでは、橿原線走行が絡んだ列車乗車プランの他、終端駅である橿原神宮前での撮影会プランも用意されました。
「青の交響曲・あをによし・しまかぜ3編成撮影会」と銘打たれたこの撮影会は、今の近鉄が”観光特急”と喧伝している車両が橿原神宮前で一堂に会するというものです。
今回の記事では、「橿原線全線開通100周年記念イベント」の一環として2023年3月25日(土)に開催された「青の交響曲・あをによし・しまかぜ3編成撮影会」の内容をイベント参加記という形でざっと紹介します。
■記事本文
こんばんは
今回の記事で取り上げるのは近鉄電車。紹介する話題は、2023年3月25日(土)に開催された「青の交響曲・あをによし・しまかぜ3編成撮影会」の内容です。
このイベント、私にとっては、中々に顔を合わせる事がないラインナップの集結が見られる点で魅力的かつ早起き前提でも近所開催でお手軽訪問が出来る催事で、価格設定もここ1-2年の実施分に比べれば良心的だったため、事前予約を入れて参加してきました。記録する事が出来る内容からして、後になっても話題性が残る撮影会であったと思います。その一方、催行された後は、今のところ他だと大きく紹介されていない様子です。橿原神宮前での撮影会自体も比較的珍しい出来事だと思いますし、今回は、イベント参加記という形で「青の交響曲・あをによし・しまかぜ3編成撮影会」の内容を取り上げる事にしました。
ところで、今回の撮影会は、久々にちゃっちゃと記事を書いてしまおうと思える出来事だったのですが、通常記事の更新は何と1年以上も空いてしまっていました。主観少ない【資料】記事の方では昨春から毎日更新が出来ていた反面、主観ありきで文字数がある記事の更新が疎かになっているという状況で、適度にバランスを取ってそろそろ何か書いていこうと思い始めています。妻面に構内入替灯が付く車両に着眼した記事も残る(後編)がまだ出せていない状態ですが、自前で使いたい記録が整理でき次第、こちらもアップするつもりです。
さて、以下からは本内容に移ります。構成は、撮影会当日の雰囲気紹介を主な取り上げ内容としてイベント催行前後の様子を順番に紹介していく形です。
第22記事目 目次
1:催行日前の様子
2:撮影会当日の様子
2-1:参加者集合前の様子
2-2:開催中の様子
2-3:撮影会終了後の様子
3:おわりに
4:リンク集
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撮影会当日の雰囲気を紹介する前に、今回の企画が発表されてからの様子も簡単に触れておこうと思います。
〈参考〉「橿原線全線開通100周年記念イベント」の開催告知
・橿原線全線開通 100 周年記念イベントを実施します!~記念ヘッドマーク列車の運転、記念ツアーの開催や記念グッズを発売します~
※見れない場合はこちら (KINTETSU NEWS RELEASE/2023.02.09発表)
概要で触れた通り、今回の撮影会は「橿原線全線開通100周年記念イベント」の一環として開催される運びとなったようで、2023年2月9日付(14:00)のプレスリリースで初めて内容が明らかとなりました。
このプレスでは、記念ツアーの第2弾である事とツアーの概要が告知され、詳細については、近鉄の旅行案内・予約ページである「おすすめのツアー(旧「駅長おすすめ日帰りツアー」)」に掲載されたチラシ(PDF)で案内されています。こちらのチラシは、ネット上では各ツアーの募集終了と同時に掲載終了となりましたが、近鉄の公式Twitterの方でも案内されており、現在もこちらで大まかな内容の確認が可能です。
チラシを見てみると、今回の撮影対象となる「青の交響曲」「あをによし」「しまかぜ」の3車両の個別画像と共に行程や料金、そしてプレスリリース内には無かった催行時間帯・記念品・注意事項等の情報が掲載されています。今イベントの最大の特徴は、撮影会終了後から約1-2時間後に定期運用を控えている車両を起用している事で、それに伴って催行時間帯が近年には類例がない早朝帯となりました。
ツアー代金は、橿原神宮前近隣の駅発であれば5,000円前後で、ここ数年で実施された撮影会の値段に比べると抑えられた価格設定とされています。内包される運賃は、参加者の乗車予定駅からイベント会場となる橿原神宮前までの片道分(運賃改定前)となっており、発駅によっては4,000円台後半から申し込みする事が出来たようです。発駅に関しては、橿原線の周年イベントかつ集合時間が早いイベントという事で遠方駅は設定されておらず、申し込みページでは、最長が榊原温泉口駅発・最短が壺阪山駅発で案内されていました。始発列車の乗車でも間に合わない駅は基本的に除外という事なのでしょうね。
なお、最近の近鉄の撮影会では、開催当日に参加者へ配布する記念品にも力が入れられており、イベントに参加するための値段は、参加権利そのものやその権利がある持ち時間(あるいはイベント内で供与される各種の体験機会)に対してというよりは、グッズに持たせる質的/量的な記念性や製作に要する材料費の増加で以前に比べてコストが高くなったお土産品の含有に左右される様相がありました。今回のイベントでは、「しまかぜ」車両からのリユース品である室内絨毯の欠片が記念品となる旨が案内されており、もしかすると、こちらがツアー料金を抑える面での一躍買った存在だったのかもしれません。
また、プレスでは橿原神宮前車庫と案内されていますが、橿原神宮前(橿原線方)の引き上げ線を使った撮影会イベントは久々の実施となりました。この場所での公式撮影会は、ここ数十年の間で振り返っても、6400系試乗イベント(1986.06.08/第2回実施分)・6620系『吉野フォレスタ』さよならイベント(2002.12.15)・18400系&16000系デッキ無し車両引退イベント(2013.11.16)の実施時に行われた程度であり、撮影会単体の鉄道イベントで引き上げ線が活用されるのは、今回が初めてと思われます。
ちなみに、近鉄の撮影会イベントは、近年だと日中の青山町車庫での開催が定番となっていますが、今回は通常ならイベント会場として使われる事がない引き上げ線かつ周辺に建屋が立ち並ぶ場所での実施という事で、案内チラシには撮影時の光線条件に関する留意事項が記載されました。近鉄の撮影会は、良くも悪くも撮影時の詳細が当日まで分からないスタイルで行われているため、事前の告知でこのような記述が載せられるのは非常に珍しい事です。
恐らく当初から作業用通路踏切の通路前に車両の頭を揃える想定での記載だったのでしょうが、日の出から間もない時間帯に引き上げ線留置となる編成の車体に「逆光かつ影の発生」があるというのは、全くもってその通りで、晴れた場合だと正面は1位方・2位方共に影の中・側面は東改札口方のアパートや架線柱の林立で影が入り混じる状況となります。
今回の撮影会は、車両各所の記録が様々に出来る機会というより観光特急車が勢ぞろいする光景(並びの見映え)がセールスポイントとされている様子だったので、大事をとって、申し込み開始前の段階から上記のような状況に対する理解を得ておきたかったのでしょうね。
さて、以上のような形で案内が出た橿原線100周年記念ツアー第2段の撮影会イベントですが、募集は告知から1週間後の2月16日(11:00)から開始となりました。用意された70名分の枠は、いざ募集が始まると早々に埋まっています。
一瞬の売り切れでは無かったようですが、定員までは1-2分で到達したようで、晴れた際の光線条件等を加味しても普段は見る事が難しい並びの記録機会に魅力を感じる人は多かった事が窺えます。実際、定員到達後も受付が続いたキャンセル待ちは間もなく100名超えとなったらしく、数日後には受付停止ならびに公式Twitterにてその旨の告知が行われました。
橿原線100周年記念のツアーは、今回の記事で取り上げる撮影会の他に「あおぞらⅡ」を使ったミステリー列車と「ひのとり」に乗車した京都・橿原・天理線走行が用意されていましたが、いずれも好評で、3月上旬になると概ね定員到達の状態となったようです。
撮影会申し込み後は、しばらく近鉄側からの音沙汰は無しでしたが、開催日が迫る3月中旬には、案内書面と当日に必要なワッペンがレターパックプラスで送付されてきました。開催3日前の22日(水)には、参加者へ配慮する形で別途、天気予報の状況から当日が雨天となる可能性と共に雨具の用意とそれに関する留意事項がメールで通達されています。
私としては、曇天を望む形で少し前から適宜に天気予報は確認していたものの、結局、当日は雨天からのスタートとなりました。
さて、ここからは撮影会当日の様子を取り上げていきます。展開の流れとしては、撮影会とその開催前後の様子をそれぞれ順を追って紹介するという形です。
※特記なき場合、この項で用いる画像の詳細は〈橿原神宮前(or引き上げ線周辺)/2023.03.25〉
ツアー案内では、橿原神宮前駅への集合時刻が朝の6時50分、参加者の受付開始が6時30分からで提示されていましたが、撮影会で使用される車両は、当然、それよりも前から橿原神宮前に向けて動き出しています。通常なら車庫に居る時間帯に観光特急が走るせっかくの機会なので、25日は撮影会ラインナップ車両の送り込み回送から見ていく予定とし、当日の私は、集合時間より少し前に橿原神宮前へ赴きました。
橿原線・南大阪線・吉野線の端駅である橿原神宮前駅は、深夜帯になると翌日早朝帯の同駅仕立て列車に使用する車両を構内各所に多数留置しています。そのため、始発からしばらくの間は、当日営業開始前の留置中車両も見る事が可能です。
橿原線ホームの方は、6時過ぎともなると3番線(664レ~)を除いて営業列車が出入りする状態となり、1・2番線からの仕立て列車が立て込む時には、奥の引き上げ線が使用されます。この日、最初の送り込み回送が到着する前には、3563レ(2番線着→23号線引き上げ→折返2番線発[6660レ])と662レ(21号線停泊→1番線発)が引き上げ線を使用していました。
なお、1番線横には南大阪・吉野線ホーム(いわゆる0番線)が設けられており、臨時列車や貸切列車が走る際には客扱いで活用される事がありますが、そのような機会は決して多くありません。現在の用途は、列車営業時間帯の車両留置が主で、25日の朝は712レ充当前の6020系6023Fが前日夜から留置されていました。
さて、撮影会のラインナップ車両で最初に橿原神宮前にやって来たのは、観光特急「あをによし」に使用される19200系19201Fです。6時29分の到着でした。
3563レが23号線に引き上げた後の2番線に入線しており、1番線には、662レの発車後に入った583レが折り返し680レとして停車しています。送り込みの終盤は、583レを追う形で走ってきたようで、1・2番線は立て続けの列車到着となりました。
この時の19201Fの側面表示幕は「回送」です。2番線での停車時間は数十秒と僅かで、橿原神宮前到着後は、開扉する事なく奥へ引き上げていきました。2番線ホームから入線可能な引き上げ線は、道路寄りの21号線と直進した23号線の2つですが、23号線には既に3563レが引き上げていたので、撮影会での19201Fの留置号線は必然的に21号線となります。
引き上げ線では、事前に各車両の入線に支障がない範囲で撮影会の準備が進められており、19201Fの到着時点では、ビニールテープで撮影可能範囲のラインが部分的に指定されていました。21号線に入った19201Fは、間もなく正面の灯具類が大阪方に進行する状態となり、併せて手信号で停車位置の調整が行われています。
撮影会車両の留置位置は当日まで不詳でしたが、6両編成の「しまかぜ」が来る事や案内にあった光線条件の留意事項から想定された通り、ホーム方の作業用通路踏切に頭を揃える形とされたようで、21号線入線後の19201Fは、折り返し少し前進して留置となりました。
19201Fが橿原神宮前に到着してから撮影会での定位置に落ち着くまでの所要時間は約4分で、撮影会参加者の受付は、21号線に「あをによし」が居る状態からスタートしています。その後の引き上げ線は、約5分間、撮影会前の19201Fと客扱い前の6660レが並ぶ状態が続きましたが、6時39分頃に観光特急「青の交響曲」に使用される16200系16201Fが姿を現しました。南大阪線ホームに到着後、そのまま岡寺方に引き上げる形での登場です。
16201Fは、この約3分後、折り返して21号線に隣接する11号線へ入っており、この時点から「あをによし」と「青の交響曲」の並びが始まっています。当初の停車位置は、「あをによし」が既に停車中の作業用通路踏切前ではなく線内の停止位置目標[4]の前で、こちらも19201Fと同様に手信号で誘導が行われていました。
停止位置目標[4]で止まった16201Fは、その後すぐに作業用通路踏切前まで進行したわけではなく、4分ほど同位置で留まっていました。この間、16201Fの停車から約1分後には、0番線に停泊していた6023Fが712レ充当のため岡寺方へ引き上げており、「青の交響曲」は、こちらの進行を待った上で停止位置を調整する流れだったのではないかと思います。
橿原線ホーム方の狭軌線は、6023Fが出た後からしばらくは車両の出入りが無くなるため、以降は撮影会に向けた準備が加速しました。この時、引き上げ線の道路寄りでは、ピンク色のテープでツアー参加者に向けた撮影可能範囲が指定され、東改札口と橿原線ホームを結ぶ構内踏切では、駅利用者に向けて引き上げ線方の立ち入り禁止を示すテープが引かれています。「青の交響曲」と「あをによし」を横並びにする位置調整もこれらの作業と並行して行われており、狭軌と標準軌の2つの観光特急は6時47分に頭を揃えて横並びとなりました。
今回の撮影会で揃う車両の内、最後にやって来たのは、観光特急「しまかぜ」に使用される50000系50103Fです。こちらは、当日京都発の9001Kレに充当される前の編成を回送してきており、橿原神宮前には6時48分の到着でした。
この時の2番線には、6023Fが出た後に23号線から上がった6660レが停車中で、50103Fは1番線に入線しています。
最初にやって来た19201Fと同様、50103Fも1番線での停車時間は数十秒と僅かでした。橿原神宮前到着後は、開扉する事なく直進した22号線へ入線しており、この「しまかぜ」が引き上げ線に入り切った時点から、11号線の「青の交響曲」・21号線の「あをによし」と合わせた観光特急3列車の横並び光景がスタートしています。時刻は6時50分です。
50103Fが22号線へ入った後は、しばらく引き上げ線への車両の出入りが無くなるため、以降は撮影会に向けた最後の準備が行われました。と言っても、先ほどからの内容と大差はなく、引き上げ線内と構内踏切上の規制線張りが主な作業といった様子で、「しまかぜ」が他の観光特急と頭を揃える頃には、ピンク色と黄色のテープが眼前に早速展開されています。
今回の撮影会ラインナップ車両は、「しまかぜ」の到着で全て揃ったので、私の送り込み回送の記録もこれにて終了です。1編成ずつの送り込みで形成されていった観光特急3並びは、最初に回送されてきた「あをによし」の到着から約20分で完成した事になります。中々にスムーズな展開で、珍しい光景の実現過程は見ていて楽しいものでした。
以上のような形で撮影会前の一先ずの目的は達成した一方、時刻の方は集合時間の6時50分となっていたので、続いて撮影会の受付へ急ぎました。
受付の場所は、構内のマツキヨ前です。店舗の方は、開店時刻前なのでシャツターが降りており、手続きは店舗前に展開された机上で手早く終わらせる事が出来ました。私が受付を済ませた頃には、流石に参加者はほぼ揃っていたようです。
なお、シャッターには、撮影会受付を案内するポスターが貼られており、参加者が撮影会中に付けるバッジに描かれたものと同じ観光特急3列車のイラストもありました。
その後は、参加者が揃った状態となって引き上げ線横の広場への入場が開始となりました。経路は、構内ファミリーマート横を入口とした関係者用通路を開放する形で確保されています。改札内での受付からそのままの移動であるため、当日の撮影会は、改札口を出る事なく臨む形となりました。
引き上げ線横の広場は、「枕木納入車待避場」と書かれた区画の手前です。ファミリーマート横の通路からだと1分もかからず到着できるため、6時55分過ぎには全員の入場が完了し、続いて今回の撮影会の流れや注意事項が口頭で説明されました。元より足場が良くない路面が雨天でさらに悪条件となっていた事もあってか、とりわけ、移動中の撮影を厳禁とする点は口酸っぱく言われていたように思います。
説明の前後では、7時からの撮影会スタートに合わせて今回のラインナップ車両群の準備が行われていました。6時57分には、3編成全ての前照灯が点けられ、後は開始を待つのみの状態となっています。なお、珍しい車両が珍しい場所で揃う珍しい光景という事で、普段からこの引き上げ線の日常を見慣れているであろう手前マンションの住人も下の並びに対してカメラを向けていました。列車が見える家に住むと、こういう光景は気になってしまうものです。
撮影会の説明はすぐに終了したため、6時58分には会場となる引き上げ線への入場が開始となりました。ちょうど同じ頃、南大阪線の方では岡寺方へ引き上げていた730レ充当車両が橿原神宮前6番線へ入線しています。橿原線ホームの方では、「しまかぜ」の入線後に張られた規制線が機能している状態で、踏切上での立ち止まりを防ぐ目的なのか、駅員も1名配置されていました。引き上げ線から駅を見る光景というのも貴重で、線路設備に関心がある方からすれば、そちらの各種撮影も楽しいものだったのではないかと思います。
7時直前から開始となった撮影会は、[グループ別→フリー撮影]の流れでスタートしました。近鉄の撮影会ではお馴染みの順序です。グループ別の撮影は、事前に送付されていた参加証明のワッペンの柄別で人数が分類されており、それぞれ5分の持ち時間が設定されていました。持ち時間中は、展示車両の正面周りで撮影する優先権利が1グループに与えられ、その他のグループはそれ以外の周辺で自由撮影が可能というスタイルです。
私は、最初の優先権利を持つグループでは無かったので、先ずは周辺での撮影からスタートしました。日常で時おり通る事がある引き込み線横の道路から眺める光景を今回は引き込み線内から見れるという事で列車以外の記録に興じたり、橿原線100周年記念のイベントという事で事前に入手していた関連グッズと絡めて撮ったりと、個人的には、引き込み線内での撮影可能時間中は飽きる事が無かったように思います。
天候の方は、撮影会開始時点でも雨天のままだったため、多くの参加者は傘を差すか雨ガッパを着るかで降水を凌ぐ対応をしていました。もし晴天だったならば、正面は逆光かつ側面は大半がマンション影の下というコンディションになったわけですから、見栄え重視の場合は天気に救われた事になるわけですが、同じ太陽が出ない天候なら、雨を気にする必要が無い曇天下での催行になって欲しかったと感じてしまうのが正直なところです。結局、撮影会中はほぼ雨天続きでした。
撮影会参加者の行動許可範囲は各先頭車周りに限定されており、優先権利を待つグループ以外の撮影は、基本的に両端留置編成の前頭部周りで行う事となりました。そのため、車両撮影の自由度に関しても、当初より編成写真・並び記録あたりで絞り込まれた事になります。とはいえ、この日の並びは、両端の一方が「青の交響曲」、もう一方が「しまかぜ」であり、共に営業開始後はこのような線路上からの公式撮影会イベントにやってくる事が無かった車両なので、撮りやすい形でこれらの編成写真が記録できる機会自体は貴重です。
並びに関しては、言わずもがな、さらに貴重です。今回の撮影会テーマが「観光特急」である事は間違いないと思いますが、そのジャンルに所属する列車の編成を一か所に集めるというのは、意図しない限りまず出来ない事なので、私を含めて、その光景見たさ(記録したさ)にイベントの申し込みを決めた参加者は少なくないと思います。
「あをによし」と「しまかぜ」は、京都線内や大阪難波で日常的に顔を合わせるものの、「青の交響曲」は両方と並ぶ機会が通常だと皆無です。当日は「あをによし」を真ん中に、左の「青の交響曲」側からでも右の「しまかぜ」側からでも光線を気にせず3並びの記録が可能だったので、参加者は思い思いにアングルを探してはシャッターを切っていました。
私の所属グループは、順番で3番目に正面周りでの撮影優先権持ちとされており、撮影会開始から15分が経つ前に顔付近で撮影可能な旨がアナウンスされました。近くと言っても、正面に向かって前進が可能な限度は作業用通路踏切前まで(撮影会中は踏切上の横断も不可)と設定されており、また、後方が他の撮影者の移動通路とされて車両から少し離れた撮影はやりにくかった事もあって、この時に撮れたアングルは、単体での正面記録や広角ぎみの3並びなど限定的だったように思います。記録の仕方は様々だと思いますが、この時の私は、他に「青の交響曲」と「あをによし」の並びをアップで撮って時間切れとなりました。
撮影会のグループは、事前送付のバッチ色で4つ作られており、私が所属するグループの優先撮影が終了となった後は、入れ替わりで撮影優先権を持つ最後のグループが正面周りに集結しています。撮影会は少し早めの7時前から始まったので、各グループ5分の優先撮影4回が終了する頃の時刻は7時20分前でした。その後は、フリー撮影の時間帯とされています。この時の参加者は、行動許可範囲内で好きなアングルから車両を記録する事が出来ました。
なお、フリー撮影の時間帯へ移ってから間もなくの出来事として、「青の交響曲」正面掲示の行先/種別案内板の取替がありました。撮影会開始前の説明だと、「回送」の案内で停車する同車両の掲示は”撮影会中は変更しない”と明言されており、実際、グループ別撮影の間は、終始「回送」の状態で展示されています。しかし、フリー撮影が開始された直後、板を順番に変更していく旨が追加で説明されました。当初からその予定だったのか、それとも当日の状況を見てそれに合わせた選択肢を出してきたのかは分かりませんが、ある人にとっては予期しない嬉しいサプライズ、またある人にとっては「回送」以外の掲示姿で撮り直し構図が出るハプニングと、受け止め方も様々だったのではないだろうかと思います。
イベントで臨機応変に対応するというのは、主催者側にしても参加者側にしても、提供するサービスを円滑に提供し運営する/提供された楽しみを効率的に享受し満足を得るといった面で大切な事だと感じます。但し、この考え方は、あくまでも不測事態に対する一有効策だと思いますし、個人的には、案内に示さなかった何かしら別サービスの提供可能性があったなら、情報は余裕をもって共有されて欲しかったと感じるのが正直なところです。撮影会の参加者視点で言えば、アングルや被写体の多さ(細部記録等)とは裏腹に撮影時間が短めな撮影会だと特に、そのような情報が事前にあるか否かで当日の撮り回りの動きは変わります。
「青の交響曲」の正面掲示は、フリー撮影時間開始から約1分後に変更が始まりました。変更の流れは、以下の通りです。まず、7時22分に[回送→吉野]へと変えられ、約5分その表示で維持されました。そこから、7時27分に[吉野→大阪阿部野橋]へ変更となり、再び約5分その表示が続けられた後、7時33分に[大阪阿部野橋→橿原神宮前]へと差し替えられています。撮影会中に実施された板の変更はこの3回で、以降は撮影会終了まで[橿原神宮前]の掲示がキープされました。この板の掲出実績は、現在までだと吉野線内完結の臨時列車に付けられた程度ですが、今回は撮影場所に合った打ってつけの板であったように思います。
フリー撮影の時間は、開始から30分弱ほど確保されており、その間の参加者は自身が撮っておきたいと思うアングルから各車両の記録に勤しんでいました。但し、雨の方は小雨になったり本降りになったりの繰り返しで、傘や雨ガッパを身に付けての移動を強いられた人が大半だった分、各人の機動力は最後まで落ちたままの状態だったように思います。
終盤になると、少し離れた状態から撮ろうとする人々が後方に固まって最後に並びを記録しようとしていたので、私も合流して撮影する事にしました。グループ別撮影の時間では、車両から離れた撮影が行いにくい環境だった事は先述の通りですが、このような段階的な撮影位置変更の流れこそ、人数を限定したグループ別撮影の時間帯に設けられる事が望ましく感じます。撮影会中の仕切りは、参加者の全体移動やタイムスケジュールや危険行為の管理だけが全てではありませんし、投入人員や計画時間に余裕があるのであれば、お馴染み2ターム制の撮影時間内で設ける動きにあと少し工夫が加えられて欲しいと思うところです。
撮影会は、予定通り、7時00分から同50分までの時間内で催行され、初動は6時50分過ぎからの会場入場でした。その後、7時直前からスタートした引き上げ線内での撮影会は、グループ別撮影・フリー撮影を経て7時47分に完全終了となっています。終了後の参加者は、引き上げ線横の「枕木納入車待避場」と書かれた区画の手前へ再び集合となり、締めの挨拶を聞いた後、ファミリーマート横の通路入口へ戻って自由解散となりました。撮影会の記念品は、駅構内へ出る際に通路入口に立つ係員の方々から受け取る流れです。
解散後は、各自で一旦改札を出て、帰りの切符を購入する事となります。会場への案内は、事前に送付されていた橿原神宮前までの片道切符で入場したまま改札を出る事なく行われたので、帰る時には確実に出場する必要がありました。なお、到着時に受付が行われていた区画では、撮影会終了に合わせて橿原線100周年記念グッズも含めた物販が始まっており、参加者は自由に購買や帰路へ流れていたように思います。
一方、撮影会で使用された車両の方は、この後、定期運用の充当に向けて引き上げ線から出庫して順次回送されていくとの事で、私は最後にこの様子も見ていく事にしました。
7時50分前に撮影会が終了した後の参加者は、50分過ぎより引き上げ線横の広場から順次退出となり、私も記念品を貰って後は帰るのみの状況です。一方で、今回の撮影会起用車両の内、「あをによし」は、始発駅である大阪難波への送り込みで早々に出発するとの事で、この回送を記録しようとする人々に混ざって私も出発までの様子を観る事にしました。
私が橿原神宮前駅構内に戻っての撮影を再開したのは7時53分です。この時点では、車両前や踏切前に張られていた規制線は撤去されており、最初に出発する「あをによし」には、早くも運転室内に乗務員が待機していました。「青の交響曲」は、回送時は逆方向の出発となりますが、撮影会終了からまだ間もなかったため、前照灯の点灯や正面の行先掲示は変わらずの状態です。撮影会開始前と違って規制線が無くなったため、僅かな時間ではあったものの、最後は駅構内からも3並びを記録する事が可能でした。
その後まもなくして、7時54分に構内踏切が鳴動し、そのまま「あをによし」が21号線から2番線へと出庫しています。この出庫の間、11号線の「青の交響曲」の方にも乗務員が登場し、撮影会中に掲出していた[橿原神宮前]の行先案内板は、この時に[回送]の種別表示板へと戻されました。こちらは僅か数秒の出来事です。3並びの終了に合わせて変えたのは、恐らく乗務員側の配慮だったのでしょうね。ありがたい事です。
この出庫シーンを観ていこうとする参加者は他にも多く、出庫前後の構内踏切周りには、最後の3並びや出発シーンを記録しようとするカメラ持ちが固まっていました。正面掲示が変えられた「青の交響曲」の方は、「あをによし」が2番線へ入線する頃には、尾灯を付けた状態となっており、その後は前照灯が消されてこれからの進行方向に合った灯具点灯状態へと変化しています。「あをによし」の2番線再入線完了は、7時55分の出来事でした。
なお、「あをによし」が2番線へ入った時点での橿原線ホームには、1番線に818レ充当の特急車、3番線に880レ充当の一般車が停車していました。後者は、25日に限り、「あをによし」の臨時回送を出す目的で発着番線を通常の2番から3番へと変更しています。2番線へ入った19201Fは、1分程停車した後、7時56分に橿原神宮前駅を出発しました。定期列車始発駅である大阪難波までの回送は、八木西口から大阪線へ出る事が出来る短絡線を通す事なく橿原線を北上させて、いつもの奈良線経由で送り込むルートが採られたようです。
一方、「あをによし」出発前後の撮影会場では、ビニールテープの完全撤去が行われていました。会場に残された2車両の内、「青の交響曲」の方は引き続き回送に向けた準備が進められており、一般車で通常行われているのと同様の出庫前状態にするという事なのか、回送前に一旦先頭位置を移す作業が実施されて、7時57分に16201Fが11号線内で吉野方へと小移動しています。「しまかぜ」の方は、出庫するまでは他に前後へ動かす事が出来ない位置で留置となっていたため、出発まではそのまま待機となっていました。
その後、撮影会参加者の多くは、「あをによし」の出発を見送って帰途に就いたようで、橿原線ホーム上のカメラ持ちも「あをによし」出発前後で随分と数が変わりました。私の方も、3並びの終了を見届けて構内での撮影は切り上げています。ただ、定期運用の充当まで少し時間があった「青の交響曲」と「しまかぜ」は、8時以降もしばらく引き上げ線上で待機しているようだったので、最後にこれらの留置シーンも記録する事にしました。
出発まで留置中となった2車両の内、「しまかぜ」の方は最後まで京都方の前照灯を点けたままの状態でした。同車が橿原神宮前の引き上げ線まで入る光景は、橿原線経由回送の折り返しや「お召し列車」充当前後の待機等、これまで複数回実現していますが、八木以南は「しまかぜ」が定期的に来る区間ではないので、その数は決して多くありません。
「青の交響曲」の引き上げ線入線も同様に珍しい光景で、これまでだと貸切列車充当前後に一時入線した程度だったと思います。こちらは、11号線でしばしば待機となる一般車と同じ体裁で、線内吉野方にて待機となっていました。
「しまかぜ」と「青の交響曲」の並びについては、今回の3並びと同じくらい珍しい光景です。全く顔合わせが実現していないわけではないものの、その頻度は極少で、私は数年前に一度見たきりのまま撮影会に臨んでいます。イベント終了後に見るだけなら無料ですし、個人的には後夜祭のような感覚で記録していたのですが、意外にもこちらは記録者が終始ほぼ居ませんでした。今回は、観光特急3並びのインパクトの大きさに隠れてしまったのかもしれませんね。
11号線の「青の交響曲」が吉野方へ移動して以降、観光特急2列車の並びは20分以上同じ光景で続いたため、その間は定点記録や形式写真や床下機器類の外観などが撮影し放題の状況でした。途中、吉野線の方では、3708レに充当される26000系「さくらライナー」や3709レに充当される16400系が通過して「しまかぜ」と対面しており、複数視点で撮っていて飽きない時間だったように思います。
その後、8時20分過ぎになると「しまかぜ」の方で出庫する雰囲気が出始め、8時22分に22号線から動き出しました。車両は往路の時と変わらず直進し、橿原線ホームでは1番線へ入線しています。「あをによし」と同様、こちらも長時間停車するような事はなく、8時25分には定期運用の始発駅である京都駅へ向けて発車し、橿原線の北進を開始しました。
最後まで残った「青の交響曲」は、さらにもうしばらく待機した後、8時35分に11号線から出発となりました。この線から大阪阿部野橋方への出庫は、一度吉野方へ進んだ後に折り返し南大阪線へ入る手法で行われており、南大阪線から11号線や51号線へ入る時も同様に一度の折り返しを要します。今回も例に漏れずの折り返しで、一旦岡寺方の踏切を塞ぐ位置まで出た「青の交響曲」は、運転士が吉野方先頭車から大阪阿部野橋方先頭車まで来るのを待った後、8時38分に進行方向を変えて再び動き出しました。橿原神宮前では7番線に入っており、その後、始発駅である大阪阿部野橋駅まで直接回送されたようです。
撮影会に呼ばれた全ての車両が会場から出るのを見送った後は、今回のイベントも完全閉幕という事で私も撮影を終了しました。この頃には、雨が止んで天候は曇りとなっており、どこかで朝食を摂るついでに徒歩で帰途へ就きました。今回は珍しく近所での開催だったので、朝早くからの起床や動き出しに対するプレッシャーは、他の参加者よりは少なかったのかなと思います。
この撮影会では、当日の定期運用を加味した早朝イベントの開催実績が出来たわけですが、このような形での催行がまた出来るのであれば、他の車種・車両での実施も期待したいところですね。もっとも、撮影会に打ってつけな日中はガラガラとなっている車庫こそ、早朝帯/深夜帯となると、その庫内は前日/翌日の入出庫に備えた車両保管の役割を果たすべく満車に近くなっているわけですから、場所は限定される事になりそうな気はします。また、今回のような標準軌・狭軌の車両を線路幅の制約を越えて並べる撮影会は久々の開催だったわけですが、可能なら、こちらもテーマを決めて一定頻度で開催されてほしいと思います。
以上、「青の交響曲・あをによし・しまかぜ3編成撮影会」についてざっと取り上げました。早くも催行から4か月少し経過した撮影会となってしまいましたが、意図して並べられない限り絶対に揃う事がない顔ぶれが一堂に会した光景は、時間が経っても記憶に残るインパクトあるものだったと感じます。後の話題性や撮れ高(自分で記録した後の撮影満足度)を考慮すれば、個人的には全体的に良い撮影会に終わったと思います。
なお、このイベントの前後では、記念HMを装着した列車の走行や客扱いした「ひのとり」の橿原・天理・京都線走行といった催事も行われました。どちらも撮影会と同時に案内されていたイベントですが、前者は八木駅前での式典や多彩なHM・後者は普段なら出会う事のない施設/車両たちとの顔合わせがあり、相応に盛り上がりを見せていたように思います。
これ以降は、特に目立ったイベントが催行されていないと感じるのが現状ですが、撮影会は、これらの中でも特に印象的な出来事でした。アニバーサリーイヤーはまだ続きますし、さらなるイベント情報の登場にも期待したいところですね。
今回の記事は以上です。
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